![]() |
|
|
![]() |
| 例会日:平成16年12月9日(木) 12:30〜 |
| 例会場:ホテル辰巳屋 8F |
| ||||||||
今日はシカゴ国際大会のご案内です。時期は6月中旬、大会登録料は早期割引で年内250ドル。旅行費用は大会だけの30万円もありますが、紺野嘉昭ガバナーエレクトの参加呼掛けはラスベガス、サンフランシスコを回る8日間食事付きで49万円。北クラブは大勢で参加されるようですのでご一緒されてはいかがでしょうか。(資料回覧)
アメリカは1863年の南北戦争後、数年の内に主要工業国となり、69年には大陸横断鉄道が完成、1900年には鉄道の延長が全ヨーロッパを超え、ロックフェラーやカーネギーなどが巨万の富を築いたのもこの頃。シカゴには精肉工場、南部では繊維工場が集中し、電話、電球、蓄音機、交流電動機・変圧器、活動写真などが発明、商品化され、鉄鋼を使ったビルが林立し近代都市へと変貌しました。 しかし抑制のない経済成長の陰で貧困と混乱が生じ、すでにこの頃から大都市のスラム街が出現し、市民社会は荒れすさんでおりました。このような社会背景の中でロータリーが誕生した訳です。 この頃、東海岸のポーツマスで日露講和会議が開かれており、二本松生れ、すでにエール大学講師であった朝河貫一博士が調停役の米国の陰で条約締結に奔走していたのです。この朝河博士のお話を例会卓話で近くご披露したいと準備しております。 また、1月にはシカゴ留学経験の阿部力哉会員から例会卓話で「シカゴ在住時の話」をして頂く予定です。勿論、阿部先生は世界大会に参加されます。 本日は久し振りに木下隆会員がご出席です。米国大統領選を見てこられたそうで、直近の米国の状況など少しだけお話頂きたいと存じます。 | ||||||||
| ||||||||
米大統領選の取材を通じて、直近のアメリカ事情についてお話し致します。上に立つものは人だということをしみじみ感じて参りました。ブッシュに対してマスコミは強烈な批判を行うが、かたやケリー候補をみて、民主党はなんでこんなやつしか立てられないのか、これは日本のどんな選挙、福島の市長選であろうともこんなやつでは通らないだろうなと思いました。頭のいい知性的な感じは受けるが、人の上に立って人を引っ張っていくような人的な魅力が全くないのです。大統領に限らず、人の上に立とうとする人にはそれなりの人間性が必要なんだなと思いました。かたやブッシュは日本で言う徹底したどぶ板選挙です。それはコンピューター時代のどぶ板選挙で、まさに長靴はいてどぶ板踏んで一軒一軒つぶしていくといった選挙のやり方でした。皆さんに今日申し上げたいことは、日本の選挙で皆さんが当落を直感されるように、私が日本人としてアメリカの大統領選挙を見たときに、共和党民主党それぞれの特質は考えながらも、これは民主党負けたな、ということを直感した次第です。
| ||||||||
| ||||||||
1.序
スピーチは分区代理以来6年ぶりになりますが、阿久津PGから年寄りもたまにはスピーチをというお話もあり、以前から関心があった 「死生観」についてお話申し上げたいと思います。死生観と言いましてもテーマが大きすぎますので、その中で「死の受容と来世観」にしぼって お話しを申し上げます。 2.死について (1)釈尊は入滅の齢「死をいかに受容すべきかを思う日々釈尊入滅の齢となりて」 この短歌は今年の「友」11月号に載せて頂いた私の拙い歌ですが、お釈迦様が亡くなられた年齢になり、死を いかに受け取ったらよいかと日々思っている、という歌です。お釈迦様が亡くなられたのは80歳の2月15日です。私も今年 の2月で80歳になりました。その年齢になりぼやぼやしていられないという心境でせあります。以前は「死」を語ることは縁 起が悪いとタブー視されていましたが、高齢化社会の今日、死が間近に迫っている高齢者がたくさん増えたので、あるいは 若くしてガンで亡くなる人も増え、社会問題としては、終末医療、尊厳死、脳死話といった医療関係の問題がありますが、私 がお話するのは「死」に関する心の問題ろして「死の受容と来世観」を選んだのであります。 (2)死期「若きによらず強きによらず、思いがけぬは死期なり」 死は年齢順にくるものではなく、また平素丈夫だと思っている人も、突然死が訪れるということであります。当クラブ の会員名簿を見ると、私より若くして亡くなられた方が8名おられます。 (3)メメント・モリ ラテン語で「死を忘れるな」の意 死の側に自分を老いて考えますと、人生において何が大事で、何が大事でないかが分かってくると思います。芥川賞作家の 玄侑宗久氏も「人間にとって避けることのできない死、このテーマに真剣に向き合わずして充実した生を手にすることはできない」と書いています。 3.死の受容 (1)死の告知 日向RC元会長金子 功氏の遺書より 皆さんは、ある日突然あと三ヵ月の命と言われたらどんな気持ちになるでしょうか。8年ほど前のロータリーの「友」に 宮崎県の日向RC元会長金子 功氏が死の5日前に書かれた遺書を奥様がクラブの会長宛に届けて下さったものが 載っていましたが、その中に死の宣告を受けた時の心境が書いてあります。「医者に宣告を受けてからの日々は目の 前が真っ白になったり真っ黒になったり、心を慰めようと幾冊かの本を読みましたが、そう簡単に悟れるはずはあり ません。今はただ天命に耐え、立ち向かっていくしかありません」という内容でした。私たちもいつこのような境遇に立た されるか分かりません。昔の「伊勢物語」に在原業平も「つひにゆく道とはかねてききしかどきのふけふとは思はざりしを」 (古今861)という歌を詠んでいます。(※「語訳」◇つひにゆく道 人が最後に通る道。死出の道。◇きのふけふ 近い日々のことを 言う。)昔も今も同じだと感じます。 (2)死の受容の5段階 否認、怒り、願い、うつ状態、受容 アメリカの精神科医エリザベス・キューブラー・ロス博士が末期患者200名と面接して最終的に死を納得するまでの心理状態を 調べて、次の5段階にまとめています。最初が否認(自分の死を受け入れない、自分に限って死ぬことは絶対あり得ないと思う)、 2番目が怒り(自分の死が否定出来ないと分かると、なぜ自分だけが死ななければならないのかと怒りを周囲の人にぶつける)、3番目 が願い(もっと生きたいという願いを医者や運命や神さままどに強く求める)、四番目にがうつ状態(死の避けがたいことを知り、深い うつ状態になる)、五番目が受容(死が避けられないという事実を率直に受け入れようとする、あきらめの状態) (3)第6段階 希望(アルファンテス・デーケン教授) 来世存在の信仰 アメリカの大学院で死生学を専攻して日本で30年来死の準備教育を続けておられる前上智大学教授のアルフォンス・デーケン氏は、 以上の5項目に次の1項目を付け加えました。それは希望でありました。来世の存在を信ずることで希望を抱き、平穏に死を迎えることが 出来る、デーケン氏はカトリックの神父であり、死後の世界、すなわち天国の存在を信じていると言っています。それは科学的には実証できない が、歴史上の各時代、各文化に来世信仰があったことを考えるべきであると言っています。来世が存在しないという考え方は、科学主義・ 合理主義が盛んとなった近代特有の思想、すなわち近代無神論の考えであって、長い3000年の人間の歴史では、無神論とは例外に属すると いっています。そこで本日のメインテーマの来世観に入っていきます。 4.日本人の来世観 (1)昔の日本人の来世観 民族学者柳田国男、記紀の来世観、神道、本居宣長 柳田国男氏によれば、石器時代、縄文時代の古代日本は、死者は集落に近い山の麓に葬り、神霊は集落を見下ろす山の頂上に 上り、更に天に昇って先祖の霊とともに住むと考えられていました。またやがて子孫に生まれ変わるという循環の思想を持っていた と言われます。この循環の思想は、日本だけでなく、旧石器時代、人類共通の思想であったと言われています。神道は縄文弥生の習俗 から生まれた宗教と言われ、神や死者の霊は天上に住み、祭りの際に現世に戻ってくると言います。そしてあらゆる自然物には神が宿る という自然崇拝と、祖先崇拝とは神社神道の大きな柱となっていると言われています。神道の死に関する考え方は、自然の意志に素直に 従うことを第一とし、働ける限り働きぬいたら悠然と、幽世(かくりょ、あの世)に去ことが死の理想像とされまた。そして神道には地獄があり ません。伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮がありますが、これは正と死が循環を繰り返すという意味で、縄文時代の伝統を受け継いで いる。と建築家の黒川紀章氏が述べています。 (2)現代日本人の来世観 日本とアメリカのアンケート調査結果。来世の有無の選択、臨死体験 昨年、あるキリスト教の団体が首都圏の15歳から59歳までの1050名対して宗教に関するアンケート調査を実施しました。 その結果は、宗教を信じている18%(内訳は、仏教9%、創価学会5%、キリスト教2%、神道1%、その他1%)信じていない82%。 信じていないが多いのは予想された通りですが、これはまったく信じていないというわけではなく、無自党的に意識しないで、あるいは 習俗習慣として仏教や神道に接している人がかなり多いことをあらわしています。山本七平氏は、こういう人たちを「日本教徒」と称して います。すなわち強い信仰ではなく、少ない、曖昧な信仰と言えるでしょうか。駒沢大学の佐々木宏幹氏(宗教人類学)によれば、「日本人 は神社にもお寺にもお参りする。神社では天満宮にもお稲荷さまにも、お寺では観音様でも不動様でもお参りする。それはどこの神仏と いうよりは、その奥を流れるなんともいえぬ力にお参りするのだと思う」と述べています。そういえば、伊勢神宮にお参りした西行法師は、 「なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という有名な和歌を詠んでいます。昨年5月、第一生命の経済研究所 が40歳から79歳までの男女792人に対して「死」に対する意識調査を行った結果、次の回答が得られました。死後、たましいが残るか、という 問いに対して、そう思う、どちらかといえばそう思うが43%、そう思わない、どちらかと言えばそうは思わないが38%、どちらとも言えないが28% でした。最初のアンケートの数字(宗教のを信じているが18%)から見れば、たましいが残ると思う人が43%もいるのは以外でした。葬儀や法要 や慰霊祭などが盛んに行われていることを考えれば頷けることではあります。ただし、たましいが残ると、来世があると信じるのはイコールでは ないようです。次にアメリカの信仰に関する調査結果によると、(1988年に795人に対して実施されニューズウェーク誌に掲載)神の存在を信じる 94%、天国行きを信じる59%、地獄の存在を信じる58%、地獄行きを信じる5%、以上、日本の調査結果と差が甚だ大きいのには、驚きました。 次に、「来世の有無の選択」ですが、現代日本人は、死ねば火葬されて骨や灰になるから、人間は無になってしまう。これが科学的な考え方だと 思っている人が多くいます。しかし、死後一切無になるという考えは、命やたましいがどうなるか立証できないので、科学的な事は言えません。それは天国や浄土があるという考えと同じく、いずれも信仰の領域であると言われます。作家五木寛之氏は、「来世があるという考え方も、一切無となるという考え方も共に立証できない信仰の領域であるならば、自分は死後の世界がある事を信じたい」と述べています。これに対して、科学者の岸本英夫博士は「ガンで半年の命と宣告された時、死後の世界があるかないかのうち、私は悪い方のないと決めた。すなわち極楽や天国があるという考え方で自分を救おうとはせず、無くても耐えていくことを考えた。しかし、あるを選べば良かったと思った。ただ近代的教養がそれを妨げた」と述べて います。教養が邪魔したわけですね。次に「臨死体験」ですが、当クラブで元会員西村氏の体験を私は直接お聞きしましたが、意識を失ったら非常に光輝く世界に出て、きれいなお花畑があって、三途の川まで行ってきた、しかし来るなと言われて戻ってきたら生き返ったというお話があります。もう一つは、遊体離脱ということでありますが、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏がエベレスト大滑降をした際に、「8000メートル地点からスタートしたが、予定したパラシュートが開かなかった、しまったと思った瞬間、時間の感覚が無くなって、たましいは分離してスローモーションで滑っていく自分の姿を見ながら、たましいは過去未来を彷徨う無限の時間だたような気がした、やがて奇跡的に体が止まった時、自分のたましいがすっと体に這いいてきた」と語っています。 (3)仏教の来世観 釈尊の来世観、浄土教、曹洞宗、檀家制、現代仏教の来世観 お釈迦様の生前、インドでは死は輪廻転生、六道輪廻と言いまして、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天、こういう世界を巡って あるかなければならないと信じられていました。民衆は現世だけでなく、死後も苦しまなくてはならなかったのです。お釈迦様 は生老病死の四つの苦しみからの解脱のために執着を捨てよと説くとともに、死後のことは考える必要なしと一切語らなかった といいます。この仏教はインドから中国を経て、日本に伝えられたのですが、中国の儒教や道教の影響を受け、日本古来の思想 も加わって現在の日本仏教になりました。次に「現代仏教の来世観」ですが、戦後は科学万能、物質万能の思想が蔓延して、現代 は立証できないものは存在が認められない時代となりました。仏教界にあっても来世を信じている人はごく一部と言われ、浄土宗に おいても極楽浄土はあの世ではなくて、現世の人の心の中にあると言っております。すなあわち昔の人のように、あの世に浄土が あると断言できないのが現代の姿勢であると言われています。しかし浄土を空、無、涅槃といった哲学的な言葉に置き換えてみても、 それによって人々は救われはしない、人々が救われるのはそうした概念によるものではなく、リアルな浄土によるものだと仏教の大家、 故鈴木大拙博士は述べられております。なお真宗の僧藤原正遠師は、「どうにもならなくなったとき救って下さるのは阿弥陀様、しかし 助かる場合もあれば、助からない場合もある。ただ頼れる存在があることが有難いのだ」と述べています。曹洞宗の開祖道元禅師は 「生死は冬や春の季節と同じく当たり前のことだ、それは宇宙の働きとしてあるのであるから、願ったところでどうなるものでもない。ただ 生死をそのものとして受け取るのがよい」と述べています。 5.外国の宗教と来世観 (1)ユダヤ教 現世主義、死後の世界は期待せず (2)キリスト教 ユダヤ教から分かれたキリスト教は、死はやがてくる最後の審判を待つ休息、天国行又は地獄行 この 地獄行きという恐れがキリスト教徒の信仰のバックボーンになっており、ロータリーの奉仕の精神もここから来ているであろう。 (3)イスラム教 やはりユダヤ教から分かれたが、この世の終末に絶対神アラーの神の審判、楽園行又は煉獄、地獄行 (4)ヒンズー教 死は新たな生へのプロセス、生死の無限循環の一つの区切り (5)儒教 現世主義。生死は天命、死ねば霊魂となる (6)道教 生死は季節など自然現象と同じ、生死は気の集散に過ぎず (7)小乗仏教 ミャンマーなど東南アジアの仏教。四道輪廻(涅槃、天上界、人間界、地獄)善行を積めば涅槃に行ける 6.著名人の来世観 有 り 遠藤周作、曽野綾子、五木寛之、梅原猛(哲学者)、瀬戸内寂聴 無 し 上田三四二(作家)、岸本英夫(科学者)、柳沼桂子(生命科学者) 考えず 坂村真民(詩人)、斉藤茂太(精神科医)、榊莫山(書家)、中村天風 7.結び (1)死への穏やかな取組み 俳句 短歌 詩など 死を考える場合に先人の俳句をや短歌や詩などを仙ってみる。 「みんな夢 雪割草が咲いたのね」「みんな夢 死んでいく日も帯しめて」 「涅槃には至らざれども この夕べ 涼しき風を受けて小半の酒」「悟りの世界には及ばないけれど、夕方涼しい風を受けて小半の酒(こなからのさけ、二合半の酒)を飲むのは極楽へ行ったような感じがする、という意」。 (2)来世観と犯罪防止 健全な来世観から来る慎み かつてアメリカでは、道徳の退廃が進み、犯罪が多発しました。そのときに「教会へ帰れ」という運動 が行われました。その結果、かなり犯罪が減ったと言われています。今日本では親が子を殺し、子が親を殺す、強盗 にはいって簡単に人を殺す、あるいは集団自殺をするという異常な状態になっています。これの改善には何が必要か、 それは死後は無ではない、死んでも魂は残るということを皆が悟れば、非道なことが出来るはずがないと思います。 悪いことをした者が死んで先祖の魂のもとに行った場合に困ってしまうと思う。死後何も無くなると思うから非道ことができ るのでしょう。それから最近感じるのは、テレビドラマでなぜ毎日のように人が殺されなければならないのか疑問に思います。 | ||||||||
| ||||||||
|
大沼健次次年度会長より、次年度副幹事並びに副SAA承認の報告がありました。
副幹事 加藤眞司 纐纈 晃 副SAA 内田英伍 紺野晴郎 | ||||||||
| ||||||||
![]() | ||||||||
|
12月9日(木)18時30分から「アルソーニ」にて、委員会メンバー4名に、会長・幹事が参加して、今後の具体的な活動案件について打ち合わせが行なわれました。職場訪問例会については福島大学・福島キャノン様での可能性とスケジュールについて検討が行われ、調整に入ることになりました。また、新しく委員として伊藤哲堯会員を迎え、親睦を深めることも出来ました。
| ||||||||
| ||||||||
「友」12月号の紹介。
読んで頂きたい要点を申し上げると、まず横組みですが、今月は家族月間に関する記事、32ページは懐かしい方の写真が載っておりますが、阿久津GのときにRI会長代理で福島に来られたウィリアム B. ボイド氏が2006-07のRI会長ノミニーとして紹介されています。34ページは第1回ガバナー座談会に2530地区の山アガバナーが出席されておられます。43ページは地区大会略報で当2530地区の地区大会の報告があります。特に読んで頂きたいのは47ページの地区のたよりで「あぶくま清流協議会」について白岩康夫会員のレポートがあります。次に縦組みですが、8ページは先月から始まりましたシリーズ風紋で末永直行氏の記事をお読み頂きたいと思います。 | ||||||||
| ||||||||
1月プログラムのご案内
| ||||||||
|
| ||||||||
![]() | ||||||||
| 丹治正博会員:「猫みくじ」 | ||||||||
| ||||||||
|
各ページに掲載の「写真・記事」のコピーや転載を堅く禁じます。 Copyright(C)Fukushima Rotary Club 2004. All rights reserved |