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福島ロータリークラブ≪例会≫
例会日:平成16年9月9日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋 8F 
会長あいさつ 04-05年度 福島RC会長 渡邊 又夫
渡邊会長
 チェチェン紛争の隣国、北オセチアで悲惨な事件がありました。チェチェンの独立運動に国際テロ組織が加わって、この種の惨劇が続いている訳で、誠に痛ましいかぎりです。
 このチェチェン人は永年の圧制から反ロシアの感情が強く、ソ連崩壊後に独立宣言をしたがエリツィンは許さず、第一次チェチェン侵攻以来10年も内戦状態が続いています。このチェチェン共和国とは面積は四国程度、人口も90万足らずの国なのです。
 大国ロシアがこんな小国をここまで弾圧する理由は、石油利権の確保もありますが、ここで妥協をすると次々と独立運動が生じるからだそうです。第二次大戦後、アフリカやアジアの多くの小国が経験した独立戦争の相手をロシアが今頃やっている訳で、過去に幾つもの良い経験(コソボや東チモールの例)があるのだから早く何とかならないものかと思います。
 このたび、日動火災の岡田 信会員は佐賀支店長にご栄転される事になりました。平成14年5月入会以来、親睦、ニコニコとクラブ奉仕にご活躍いただきました。入会時の社名は日動火災、現在は東京海上日動火災、勤務地も福島から郡山に変わったそうで、さぞかしご苦労があったのでしょうが、いつも笑顔でお付き合いをいただきました。Clubbableという英単語は「クラブに相応しい」という意味です。岡田さんにはClubbable Fellowの言葉を贈りたいと思います。赴任先でのご健勝をお祈り致します。
「魚の目で見た阿武隈川」 福島県トライアスロン協会理事長森 崎 俊 紘 様
森崎様
 私とトライアスロンとの出会いは今から20年前、肥満から糖尿病や肝臓病を患いかけていた時でした。その後そのおもしろさにとりつかれ、やっと100回完走が終わりました。水泳が3.9キロ、自転車が180キロ、マラソンが42.195キロですから、たとえれば南福島から福島まで泳いで、中尊寺まで自転車で走って、花巻温泉までマラソンするという距離です。私で13時間弱かかります。こうして立ち上げた阿武隈トライアスロン大会も東北で4番目の老舗の大会となりました。
 さて、今回の阿武隈川の源流から太平洋までを泳ぐ200キロの旅ですが、8日間、65時間かかりました。当初はマラソンの経験から、早い川の流れに乗って源流から福島まで一日、福島から太平洋まで一日の計2日間の計画をたてたのですが、これが大誤算、一日目の白河のスタート地点は水深30センチほどで往生しました。山椒魚泳ぎと称して腹をこすりながら泳いだものです。毎日曜日の挑戦でしたが、白河をスタートしてから福島までで一番驚いたことは、川で遊ぶ子供の姿がまったく見られなかったことです。そしてこの200キロの挑戦にあたって一番難しかったことは、家族への説得でした。折しも台風や川での行方不明、水死、鯉ヘルペス・大腸菌O−157騒動など大逆風の中、無謀な挑戦と、離婚寸前まで行ったものでした。いかに阿武隈川が汚いか、危険かということのあらわれだったのですが、これら点について、私たちは今回200キロを泳ぎながらいろいろな答えや問題点を見つけてきました。
 こういう馬鹿げた企画は、去年の正月に息子たちと酒を飲みながら出た話なのですが、還暦を迎えて、100回完走したし、記念に何かやろうということで始まったのです。実は普段からいくつかの素朴な疑問があったのです。一つは福島市でトライアスロン大会の会場にと、県庁の裏で試しに泳いでいたら警察に不審者扱いされたこと、もう一つは、川のそばの看板に「良い子は川で遊ばない」を見てなにか違うんじゃないかと思ったこと、また源流の甲子温泉での川の美しさに比べて、新聞には阿武隈川は一級河川で最下位と載ること、なぜあのきれいな川が汚くなっていくのか、これは考えなくちゃならない、と思いました。そして二人の息子の賛同を得て、3人で交代で泳ぐこととなりましたが、ほとんど川で泳いだ経験の無い息子たちが最後までつきあってくれるとは思いませんでした。こうした3人の旅に対して多くの人たちがサポートしてくれたのです。今回つけたタイトルは「魚の目で見る阿武隈川」、まさに魚の五感を通じて阿武隈川を感じてみたかったからなのです。泳ぎながら感じたことをサポートのボートに伝え、それをトランシーバーでサポートの自動車に伝え、移動とともに詳細な記録をとるという方法で、総勢10名ほどのスタッフで始まりました。始めてみて驚いたことは、自動車が川に近付けないということです。食糧の補給は橋の上からロープでおろす始末、これでは子供が川に遊びに来れないじゃないかと感じました。次に水の透明度ですが、白河を出発して中島村にさしかかってもう水底が見えなくなってしまいました。最初アユやウグイがいる清流を泳いでいたと思ったら、白河の端に来るともう濁ってしまったのです。そして臭いがついてきました。さらさらした水がぬるぬるして、ざらざらして、そしてべたべと変化してゆきました。
 須賀川、郡山という最悪のところを通過して逢瀬川の合流点にさしかかったのですが、これがまた透明できれい、水温が低くて、砂がさらさらしていました。聞けばこの逢瀬川には川をきれいにする団体があってゴミを拾い続けているそうなのです。一つの支流をみんなできれいにしていけばこんなきれいな流れが帰ってくるのだと強く感じました。福島に来るまでの間、川底で感じたことは岩肌です。最初白河のあたりは小さな小砂利だったのですが、それが玉石大にだんだん大きくなり、本宮の近くになると、凝灰岩の岩盤に変わり、非常に危険になってきました。阿武隈山地に入ってくるとその大きな変化を感じました。さらに流れも激流になり何度か流れに翻弄され、危ない目にも遭いました。福島までの間、川に子供たちが近付く道路がないことと同時に、子供たちにとっての最高の遊び場所もたくさん見つけました。皆さん方は多分昔川で遊ばれた経験がおありでしょうが、今は子供たちには川は危険で汚いから近寄るなと言っていると思います。これでは川は死んでしまいます。福島に蓬莱岩というところがあります。今はここに行く道がないのですが、この岩だけでも子供たちが一日中遊んでも遊び足りないぐらい夢ふくらむ体験が出来る楽しい場所です。そこには砂浜もあり、家族みんなで遊んでもタダなのです。そういう場所が何十カ所も見つかりました。今はそこに道を作ってあげたいという気持ちでいっぱいです。道の駅ならぬ川の駅を作るというのもいいと思います。場所によって人間と共生出来る場所と自然が人間を拒否する場所もあります。自然との共生、川との共生といっても簡単にはいかないことも思い知りました。
 それから街づくりというものを宮城県に行って感じました。宮城県の丸森町、角田市などでは川が町のど真ん中を流れていて、とてもよく整備されています。福島の場合白河市や郡山市、二本松市など市になったところは皆町の中を川が流れているのですが、それ以外の伊達郡などは川を境に町が分けられています。町のはしっこが阿武隈川という状況、これは非常に問題があると感じました。もしも自分の家の真ん中にせせらぎがあったらとても大事にするでしょうが、家の後が川であれば多分ゴミを捨てたりするのかなと思います。また町の中を川が流れていれば、シンボルとして生かすことができるのでは、とも思います。
 ゴミについてですが、須賀川に入る手前から川の両側にはビニール、ペットボトルなどのゴミがたくさんひっかかっていました。それを誰も取ろうとはしません。誰も通らないから意識もされないのでしょう。あとで伺いましたらペットボトルは400年たっても自然には分解しないそうで、愕然としたものです。発砲スチロールも粉々になって魚が間違えて食べたりしているそうです。このように川にはいろいろな問題があります。私たちの大きなテーマの一つに福島のゴミはいったいどこに消えてしまっているのか、そしてそのことがなぜ問題にならないのか、そしてゴールの亘理町の人達にごめんなさい、と謝るということでありました。これは流れ着く先の県が違うからではないのでしょうか。ゴールである宮城県亘理町の荒浜という河口にはゴミがものすごい量たまっていました。荒浜では亘理町の町長さん以下100名以上の人達が私たちを待っていてくれました。そこで私たちはごめんなさい、と謝ったのですが、その時の町長さんの「7月にも町民全員でゴミ拾いをしたが、それでもこうなんだ」とのコメントを聞き、福島の人達はもう一度このことを考えなければいけないと痛感しました。それにつけてもゴミを捨てない、水を汚さないという二つの問題を抜きには川のことを語れないと思った次第です。
 先般、あぶくま清流協議会で阿武隈川で学生を泳がせる企画をされたのでうかがった際、来ていた3つの大学の水泳部員20名ほどに川で泳いだ経験を尋ねたところ、こんな危ないところで泳いだ経験などないとの答えが返ってきたのにはいささか驚きました。躊躇している彼らの前で阿武隈川を横断して見せ、後に続かせたところ、目を輝かせて何度もトライしていました。中に渡利で生まれ育ったという学生の一人は、自分の家の裏の川を泳げるなどと思ったこともなかった、というのです。
 かつて福島の昔の頃の写真を見せられたときのことでしたが、松齢橋の下で子供たちがいっぱい泳いでいるのです。あの姿をもう一回戻せないものか、との思いでいっぱいです。そのためにも私自身がこれからやることは何か、変人と思われようと川で泳いで、川は遊ぶところだよ、とのイメージづくりに一役買うことだと思っています。川の怖さ、川の汚さは確かにあります。ただ今回の挑戦のあとも私たちは元気でおります。あまりささいなことで大騒ぎすると川が悪者になってしまいます。川の良いところをもっともっと報道してもらいたいと思うのです。
 まず川づくりそのものから考え直さなきゃいけないと感じたのは、郡山を過ぎてからでした。もしも私が須賀川あたりでおぼれたら助かりません。なぜか、陸に上がるところがないのです。堤防は鋭角でツルツルですし、泳いでいて休むところさえないのです。もっとすごい川でも、所々に岩があったり、よどみがあったり、渕があったりしますが、今はそうしたでっぱりをとってしまう、このへんからすでにもう子供が近寄れない世界になってしまったな、と感じました。ところが丸森にたどりつくと川の様子は一変しました。丸森では船着き場をあちこちに作っています。子供たちも遊んでいるし、大人たちも魚釣りにたくさん出てきていました。それは船着き場に向かって道路が整備されているからなのです。ですから福島の川でもこうしたことが出来れば、川そのものが昔の文化を取り戻すことが出来ると思いました。子供の魚釣り大会など、もっともっと子供たちを遊ばせるための夢がふくらんでゆくことでしょう。伊達町、梁川町にはものすごい広さの小砂利の浜辺があるんですね。ああいうところでは子供は一日大はしゃぎします。まったく安全なところなのになぜ子供が近寄れないのか、それが残念でなりません。私たちがそこに着いたときには、すっかり童心に帰って、石投げなどしてはしゃいだものでした。
 皆さんに一番申し上げたいことは、子供たちを川に戻すためには、発想を変える必要があると思います。危険だから川にいってはいけない、それを逆転させて子供たちが行くのだからもっと安全に、子供たちが遊ぶのだから汚してはいけない、と考えるのです。その発想の転換から阿武隈川はきれいになっていくものと私は信じます。(文責 在会報委員会)
20年代会開催される
開催風景
 9月7日午後6時30分より「モルツ」に於いて昭和20年代会(渡辺健寿会長)が新会員歓迎会と暑気払いを兼ねて開催されました。渡邊又夫会長や梅宮勇造幹事を始め新会員3名も出席し、20名の会員が集い盛況裡に終了しました。
会員増強PJ開催される
開催風景
 9月9日(木)pm6:30より「モルツ」において、今井吉之リーダー、渡邊又夫会長、河田亨、三宅喬、草野武夫、加藤眞司、紺野晴郎、後藤忠久の各会員、梅宮勇造幹事計9名出席のもと、開催されました。今井リーダーの挨拶及び会員増強セミナー出席報告、渡邊会長の10名増強目標の挨拶のあと、具体的候補者と担当者を決め、リストを作成することになりました。名前が挙がるたびに会議は盛り上がり、この調子だとすぐにでも目標は達成されそうな勢い。しかし、そうは問屋が卸さない!梅宮幹事が事務局となり、それぞれの担当者が進捗状況を事務局に報告、それらの状況に合わせて随時PJを開催することとなりました。
〜今週号は私が編集長〜 (9/9例会)  丹 治 正 博 会員
 本日のゲストスピーチは森崎さんによる阿武隈川の源流から太平洋まで泳ぎ下る親子3人の環境と冒険のお話です。刻々変化する川の状況を、魚の視点から観察されたお話は、汚染が進む身近な川の状況に無頓着で、川に親しむことを忘れた私たちの心を打つものがありました。子供たちの歓声が聞こえる川が戻ってくることを目指して、私たち一人一人が出来ることを考えて行かねばと思いました。

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