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平成16年市内RC ≪例会≫
例会日:平成16年2月12日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ 03-04年度 福島RC会長 草野 武夫
クラブ会長が任務を遂行するためのマニュアル“クラブ会長要覧”に“例会運営のための指針”があります。その中に会長の役割が次の様に記載されています。(一部略)
a.来訪ロータリアンおよび来賓の紹介
b.主要なロータリー・プログラムを提示し、概要を説明する。
c.クラブ全体のプロジェクトに関する進捗を報告する
d.委員会、クラブ協議会および2004年 2月 19日 木曜日理事会で議論されるべきことは話し合わないようにする
e.会員の授与された名誉、誕生日および記念日の認証
f.新会員の紹介

etc.

このほか時間割として“食事および親睦の時間”を取るようにとあります。これを見ると“例会”は討議するのではなく、会員のコミュニケーションの場であることが解ります。年度後半期も例会の運営方針である“憩”の場となるよう心掛けてゆきたいと思います。
<<退会挨拶>>『福島の友へ』 住吉 道紀 会員
住吉道紀 去り難し福島、福島のとりこになりました。
上司もいない。女房のいない。出勤簿もない。通勤もない。おまけにノルマもない気ままな3年間でした。 16日本部に出頭せよとのことで、15日の夕方いよいよ福島を離れます。女房が福島まで引取りに来ます。
着任後のスケジュールも、続々と入ってきます。気分の重たい「ご栄転」です。もう55才ですから、再就職の気持ちで頑張ってみようと思います。 福島の想い出は、心暖まる人々との交際ということに尽きます。
メンバーの皆様のグッドウィルに感謝します。
I Love フクシマ.サンキュー福島ロータリークラブ。
<<新会員スピーチ>>『天国のような生活をしていて安心』 福島民友新聞社 社長伊佐早 幸男会員
伊佐早幸男  民友新聞の伊佐早でございます。私、皆さんにお話しするような話あまりないんで、貴重な時間をとりとめのない話で使わしていただきたいと思います。私は読売新聞に入社しまして39年働きましたが、そのうちの21年間は政治部というところで政治の取材にあたってきました。そこで私が昨年6月福島に赴任するということを聞いたわれわれの同僚が、「福島は、政治部の墓場だな」と、こう言うんです。墓場とは縁起でもない、なんのこっちゃいと思ったら、言われてみるとご承知でしょうけれど、非常に各社の政治部の先輩が福島にはたくさんおりまして、読売新聞から、皆さんご承知の木下前会長、福島中央テレビの本田会長、北原社長、福島テレビでは中村啓治社長が産経新聞の政治部、福島放送では、川戸前会長、瀬川専務が朝日新聞の政治部の先輩であります。そういうことかいと、しかしなんとなく縁起が悪いなと福島にやってまいりました。たしかにお墓を用意してすべて万端整った人もおります。がしかしみんな住吉さんのように非常に地獄どころか極楽の生活をしていることを発見しまして、それも皆さんに愛されて非常に楽しくやっておりました。どうぞ私もよろしくお願いします。
 ところで私が政治部へ行きましたのは丁度 佐藤栄作政権の末期でございまして、それからは、異常な政治の抗争の時代でありました。角福戦争から始まり、田中金脈、椎名裁定等々、次から次へ政治抗争、田中角栄がロッキードの被告になったということがまた政治の根源に輪をかけたわけですけれども、そういう意味では、取材する立場としては、非常に面白かった時代です。いちいちそれは紹介できませんが、とにかくわれわれその頃、政治記者一人ずつハイヤーを朝から晩まで持ってろということ言われまして贅沢な時代だったんですが、朝、早朝に自宅へ迎えにくる、家に帰るまで離さないという状況。時には未明に帰ると、その日の迎えの車がきているというような、若かったからできたことでしょうけれども、そういう生活をずっと続けて、家庭など顧みる暇はなかったと、これは私だけじゃなくって、他の社も全部そうなわけです。それは、政治部だけではなくて、経済部、社会部、国際部、国際部は、特派員が今度は時差の関係で海外で活躍している、それやこれや考えますと、新聞代は安いなとつくづく感じました。当時は、朝日新聞にまだ負けてたもんですから、なんだ販売局はなぜ売らないんだと、こんな文句を言ったことを覚えております。
 今日は、そうした取材を通じ、福島県選出の忘れられない二人の代議士について話してみたいと思います。ひとりは、伊東正義さんであり、湊徹郎さんであります。私は、伊東さんとは、外務省倶楽部で初めて一緒になったんですが、実に几帳面な真面目な方でありました。ヨーロッパ旅行、外務大臣としての旅行に私も同行させてもらって、各国横断、移動するときは、列車なんですね。夜の列車で行くんですが、伊東さんは、個室に入っててずーっと電気がついているんです。夜中まで。覗いてみるとなんか一生懸命書き物をしている。ある時、なにをやっているんですかと言うと、明日、なんとか大臣に会う、その時、自分の言葉でないとしゃべれない、だから役人が用意したものじゃだめなんだ。自分で書き直しして自分で挨拶をつくってる。という話でありました。まあ彼らしいなと思っておりました。伊東さんの外相辞任という事件も、私が外務省のサブキャップの時、うちに優秀な記者がいたもんですから、いち早く察知して、私が予定稿という格好で原稿を書いて後任は園田直の名前が浮かんでると書いて、結局みんなあたっちゃったんですけれども。伊東さんが記者会見に来なければ、完全にうちの独材であったけれども、会見に来ちゃったもんだから、各社皆2段3段とかで入りましたけれど、そんなことがありました。それで、総理大臣のポストをけったという方であります。そこで思い出すのは、外務大臣を辞任したあと、鈴木善幸総理大臣が、中国を訪問する、もう総裁選が近づいておりましたから、そこの特派員に橋本五郎という記者、みなさんご承知かもしれません。最近、中央テレビ、朝、秋田弁でコメントする大変人気の編集員ですけれども、この男を派遣することになって、総裁選にほかに名乗りを上げているものが当時おらなかったんです。田中角栄軍団の全面的な応援を得て、鈴木善幸政権ができた。鈴木が懇談で、何かしゃべったら改革法…と述べ総裁再選に意欲を示したと、そう書けばいいんだといって送り出しました。そうしたら、中国から電話がかかってきて、「今、懇談が終わった」「予定通りか」と聞くと、「予定通りだ、だけど、ひとつ変なことを言うんですよ。辞めてもいいと言った」というんです。「おい、それは、ちょっとどういう意味なんだ、再選目指す人が辞めてもいいとは何事だ」「いやぁリップサービスですよ」「誰にリップサービスしてんだ」「わからねぇ」という話になって「ちょっと待てよ、『辞めてもいい』で、再選に意欲を示したというのはおかしい、もう事実だけ書け」といっておきましたが、鈴木さんが帰国してからが大変だった。突然の総裁選出馬断念という事態になって、なぜかということは、いまだに正確なところはわかりませんが、伊藤正哉さんという池田隼人総理大臣の秘書官だった人が、この一連の政変暦を小説に書いておりますけれども、「善幸は、再選する気だったら、もちろんなれたけれども、田中角栄サイドから執拗のいろんな要求を突きつけられた、金も大変、注文も大変ということで投げ出した」とその小説には書いてありました。おそらくそんなもんだったんだと思う。それで伊東さんが総理大臣の候補に名前があがりましたが、みごとに断った。それは、そういう実態を知っていた、このままなったら、もうめちゃくちゃにされると、田中軍団に自分の筋が通せない、それは潔しとしないということで、断られた。福島県の皆さんからすると総理大臣になってほしいという気持ちはあったと思いますが。しかし、私は、すばらしい決断だったと思うんです。じゃあ竹下政権の後、誰だったかと聞かれて、今すぐ名前の出る人は、あまりいないじゃないかと、国民はほとんど忘れています。宇野宗佑、海部俊樹、と続いたわけですけれども、彼らが何をやったか、おそらく何も実績としては残っていない。挙句の果ては、金丸、小沢が総裁候補を面接で決める、という事態になったことは、みなさんご承知のとおりです。伊東さんは、おそらくそこまで見て、表紙を替えるだけじゃだめだ、中身を替えなくてはいけないということをおしゃったんだと思うんです。宇野宗佑みたいな総理大臣を出すよりも、遥かにすばらしい決断だったと思います。
 もう一人は、湊徹郎先生です。私が若い頃ずいぶんかわいがっていただきました。「三春に来いよ。三春は、桜がきれいだぞ。ぜひ一度来い。」というような話から、椎名裁定というのが、田中角栄退陣したあとにございました。椎名裁定で、誰が総裁に指名されるのか。その前夜、湊先生は、夜、私を食事に誘うんです。そんなことやってる暇はない、今日は、椎名裁定の中身をすくなくともかじっておかなくては、やっておかなくてはいけない仕事があるのですが、それは湊先生、百も承知で、私を誘ってくれた訳です。神楽坂の「福住」という店で、福島県の住人が住んでるから福住というんだと、言うんです。食事をして、失礼するかなと思ったら、「ちょっと待て、今から俺、電話するからそれを聞いてろ」と言うんです。目の前で電話を取って、「大役ご苦労でございます。・・・御身お大事に」てなことを言ってるんです。4〜5分だったと思います。電話を切って、「今、電話したのは、三木武夫だ。君たちは、椎名裁定では、力の関係で、福田赳夫か大平正義か、どちらかと思っているようだけれども、いざ、こういう大事な政治の局面になると、力じゃない、心理学、社会学、嫉妬、人間の社会の縮図なんだから。俺はじっと考えて、三木だと思う。サイの目は三木、だから今打診してみた。」というんです。「間違いない、三木だ」そんなことってあるもんかな、これは大ニュースだなと思ったんですが、そしたらその足で、湊さんは、「中曽根の家に行くから一緒に来い」と。彼の親分ですから、さすがに「玄関で車で待ってろ、俺、行ってくる」といって小一時間。それでやはり「三木を確認した。あくまでもそれに大平、福田が反対して抗戦を主張したら、中曾根派は、徹底的に三木でいくということを確認してきた」と言うんです。大ニュースなんです。それを連絡したら、政治部の先輩たちが、さすがに三木というのはつかんでおりましたけれども。そういう政治の裏というか、ほんとのところを見せてもらったのは湊先生でした。私も政治記者の端くれでしたから、板垣退助の「自由党史」などを読んでいましたから、福島事件、加波山事件、三島通庸、河野広中の名前は知ってましたし、湊先生の奥さんが河野広中先生の孫娘であることはその当時知っておりました。しかし、突然昭和52年に亡くなられてついに三春に行くことはできなかったわけですけれども。今回、福島に来て自分の会社の民友新聞を知らなかったわけですから、社史を読んで河野広中が創始者だっていうんで、これは一体どういう因縁かなと。それでさっそく三春の湊先生のお墓、近くに河野広中先生のお墓もあります。両方お参りして、これは、本当に湊さんに呼ばれたのかな、そうなるとやっぱり墓の下の話かなと。やっぱり墓場かと思った。冗談ですけれども。そんな因縁があって、福島に赴任しました。ですから河野広中先生の墓前に民友新聞を必ず福島一位なるといったか、一位なるための努力をすると言ったか、忘れましたけれど、霊前に誓ったわけであります。そういう意味で一生懸命取り組みたいを思いますので、なにとぞ叱咤激励の程をお願いします。ありがとうございました。
今週の風景
:::  纐纈 晃 会員 :::
信夫三山暁まいり
<< 『信夫三山暁まいり』を上から撮影 >>

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