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| 例会日:平成16年1月22日(月) 12:30〜 |
| 例会場:ホテル辰巳屋8F |
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国際ロータリーでは、ロータリーの創立者ポール・ハリス氏が亡くなった1月27日を含む1週間を「追悼記念週間」と定めています。各クラブでは、この期間この1年の間に亡くなられた会員を追悼し、併せてクラブ創立以来の物故会員を偲ぶ例会をもつよう推奨されています。
福島RCでは昨年8月13日に、山口宇一会員が逝去されました。
当クラブでは過去52年の間に山口会員を含め55人が亡くなられております。本日は山口宇一会員のご遺徳を偲びご冥福をお祈り申し上げますとともに、先人のロータリーへの功績に思いを致し、ロータリー活動への誓いを新たにする日にしたいと思います。
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1月14日より18日までの5日間、タイを訪問しました。これは、昨年4月23日に仙台で開催されたビチャイ・ラタクルRI会長歓迎IMが開催されましたが、その折に一度タイに会長を訪ねたい、との話が出まして、ビチャイ・ラタクルさんの異例な配慮により、同期の日本のガバナーをバンコクの会長の自宅に招待という形で実現しました。
一行は35人のうち、高齢、体調不十分、他にスケジュールがあった6人を除いた29人とその配偶者、前RI理事板橋敏雄ご夫妻を含めて総勢60名になりました。私たち35人の同期のガバナーは、アナハイムの国際協議会以来ビチャイ・ラタクルさんとは何回かお会いしている間に、皆その人柄に魅了され、また「慈愛の種を播きましょう」というテーマに表現されるような高邁なロータリー思想に感銘を受け、私たちの会を「ラタクル会」と名付けたのですが、ビチャイさんは親しみを込めて私たちを「ラタクル・ギャング」と呼ばれています。今回の訪問で先ず驚いたのは、ビチャイさんが、空港の中まで私たちを出迎えられ、特別の入国手続きのブースを設けてくれましたので、私たちはVIP待遇でスムーズに入国手続きが出来ました。その夜、バンコクより車で1時間程のビチャイ・ラタクルさんの自宅に招かれ、歓迎パーティが開催されました。立派な洋風の邸宅ですが、その庭にテーブルが並べられ、ビール、ワイン、ジュースなど各自好みの飲み物と中華風の料理を心ゆくまでいただきました。この日偶々2800地区の野々村政昭PG夫人の誕生日ということで、皆でお祝いし、ビチャイさんからも祝福のメッセージがありました。 翌日アユタヤ世界遺産などを見学、バンコクに2泊の後、16日に空路1時間程のチェンマイに移動しました。チェンマイはタイ国第2の都市ですが、高地のため爽やかな風が印象的でした。しかし、今タイも冬で乾期ですが、気温は毎日30度を超していて私たちにとっては冬というイメージはありませんでした。ビチャイさんは、チェンマイにも同行され、最後の17日夜はホテルで地元のPGも交え「さよならパーティー」が開かれました。その際ビチャイさんから私たち一人ずつに記念品が手渡されましたが、その温かい配慮に感激しました。記念品はペン皿で一人ひとりの名前が刻まれ、From2002〜03 RI President Bichai Rattaku1と記されていました。また配偶者には、手提げ袋とタイシルクの写真額が贈られました。また、このパーティーで地元のPGがビチャイさんのことをBichai Rattaku1 Exce11ency ビチャイ・ラタクル閣下と呼んでいましたが、タイにおけるビチャイさんの立場をよく理解することが出来ました。 今回の訪問を通してビチャイ・ラタクルさんの飾らない、フランクな人柄に改めて触れ、素晴らしい会長の下でガバナーを務めた幸運と喜びを皆で再確認した楽しい旅でした。来年もまたバンコクでお会いしたいという声もありましたが、人との触れ合いの大切さをつくづく感じました。 | |||||||||
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山口さんは、昭和5年のお生れで、付属小、福中を経て東北大学建築科を卒業され、百有余年の老舗山口家具店に入社されました。家業の外、本町商店会、本町振興組合の要職に就かれ、会の運営に寄与されました。又社会奉仕にも熱心で、社会福祉協議会などにも寄付をされておられました。ロータリー活動にあっては、1980年ポールハリスフェローを受賞され、2002年には準米山功労者となられました。ロータリー歴は27年間、その間例会出席は勿論、ホームクラブの出席率100%も度々達成されました。性格は温厚、誠実、几帳面で、趣味も読書、旅行、切手収集、又ビデオの収録は歴史もの、観光、ドラマ等々約2000巻にも及ぶとのこと。生来手先が器用で、家具の修理の外、簡単な家のリフォームもなされ、お客様より喜ばれておりました。又神仏に対しては信仰心が厚く、30年に亙る写経は3万巻にも達しております。お店に伺った時も、よく毛筆で写経をされている姿を拝見し、菩提寺の東安寺、信夫山墓地の墓参り、稲荷神社、板倉神社等にも参拝されておられました。
山口さんとは50数年来のお付き合いです。照子夫人と金子会員の須賀子夫人、私の家内共々福女の同級生で、2カ月に一度位は食事会を開いていたようです。ご主人を亡くされ、しばらく休会のようでしたが、近々再開されるようです。照子夫人が山口家具店の社長として家業を引継がれるとのこと、ご商売のご繁昌を祈念致します。 一昨年の8月14日、故田中PGの新盆に山口さんと私共夫婦で焼香に参りましたが、その翌日の夕方に山口さんは体調急変され大原医療センターに入院されたのでした。その後10月中旬に県立医大付属病院に転院され療養に専念されておられました。体調の良い時には外泊を許され、ご自宅で療養されていました。私共も月に一度はお見舞いに伺っており、病状は安定しているように見受けられましたが、昨年の8月12日にお見舞いした時には意識が薄れ、酸素マスクをつけておられました。これが山口さんとの最後のお別れになるとは思いませんでした。ご家族の手厚い看護にも拘わらず、闘病一年後に亡くなられるとは誠に残念でなりません。改めてご冥福をお祈り致します。 私共会長、幹事時代、例会日には必ず同行しました。たまには斎藤高志さんと3人の時もありました。平成10年2月19日のことでした。3人で例会へ向かう途中、私は急に意識が遠のき、ふらついてしましました。山口さんはちょうどその時、後ろでぐっと抱きかかえてくれました。山口さんのとっさの助けがなければ後頭部を打っていたかもしれませんでした。救急車で病院に運ばれ、不整脈の発作との診断を受け、手術を受けました。現在私の胸にはペースメーカーが入っていますが、通常の生活には支障がありません。現在でも山口さんを命の恩人として忘れることはありません。 さて山山コンビ、YYコンビと称されていた会長、幹事時代の思い出のいくつかを振り返ってみたいと思います。 (1)10年振りにGSEの一行ドデイ氏以下5名RI6740地区より来福され、10月9日福島・福島北両RC合同歓迎会を開催。国分ガバナー、故田中、故佐久間PGを始め地区委員、県北T・Uの分区代理、幹事外多数の会員のご出席を頂き、辰巳屋にて開催し、草野、阿部泰輔両会員宅へホームステイされました。14日は第50回秋の福島国体開会式に招待され、福島の秋を満喫されました。RIでGSEを始めてちょうど30年に当る記念すべき年度でありました。 (2)11月16日、5名の会員の受賞夜間例会を開催、故佐藤 宏、西村 元、安藤錬雄、今井吉之、故田中善六各氏へ記念品を贈りました。 (3)3月21日、当クラブ創立45周年記念夜間例会を開催、県北T・Uの分区代理、幹事、各クラブの会長・幹事のご出席を頂き、記念講演は今井吉之元会長、祝宴は杵屋弥作富社中の長唄・祝舞。 (4)4月18日、福島・南・西・中央4クラブ合同夜間例会を開催、故田中PGに「例会出席とロータリーの心」と題してお話し頂きました。 (5)5月23日、福島・二本松・あだたら3クラブ合同夜間例会を開催、中村忠司元会長に「二本松と私」と題し、お話し頂きました。 (6)第20回目の東京交歓会は6月14日、築地の聖路加ガーデンオフィス最上階の46階ホールに於て、東京在住のOB30名、当クラブより夫人共々39名計69名のご参加を頂きました。名誉会員である松平元知事さんが奇しくも当日が満89才の誕生日であったので、お祝いの花束を贈りました。故田中PGのご発声で乾杯、参会者それぞれに懐古談に花を咲かせ、和やかなうちに来年の再会を誓い閉会しました。翌日のエクスカーションは、新橋駅より「ゆりかもめ」に乗り、臨海副都心の東京テレコムセンターその他の超高層ビルや、めったに見られない共同溝見学など、梅雨期にも拘わらず、初夏の好天に恵まれて有意義な視察となりました。昼食は築地の有名な寿司屋「江戸銀」で和やかに懇親を尽くしました。後日、東京交歓会20周年記念誌を発行、関係者に贈呈致しました。 以上、当時の山口幹事の在りし日の思い出と例会の一部を振り返り、私の追悼のスピーチと致します。 (文責 会報委員会) | |||||||||
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