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| 例会日:平成15年10月16日(木) 12:30〜 |
| 例会場:ホテル辰巳屋8F |
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ガバナー補佐は以前は分区代理と呼ばれていたことは皆さんご存じかと思います。ガバナー補佐という呼称は1996年にRI理事会で採択された“地区リーダーシッププラン”(RI理事会推奨の地区運営のための組織構成)に基づくもので1997年7月から実施されているものですが、2530地区では佐原G年度より採用されています。
“手続要覧”には「担当するクラブの管理運営に関してガバナーを補佐する責任を負う」と記載され、その役割も大幅に増えました。任務の中でクラブに関係する項目を幾つかあげてみます。
これはほんの一部で、その呼称どおりガバナーを補佐する任務がたくさんあります。それを完全に遂行しようとすると、大変な職務です。菅野ガバナー補佐が無事任務を果すことができますよう、ご祈念申し上げる次第です。 | ||||||||||||
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日本での留学を通じて、多くの人と出会い、様々な体験をし、たくさんの思い出が残っているので、お話をしたいと思います。振り返れば、96年9月のことでした。私は保証人の方の、お孫さんの幼稚園の運動会に出席し、ある出来事で大変感動いたしました。それは、身体障害を持つ3人の子供たちの競技を見たときです。3人の子供たちとも足はベルトのようなもので巻かれ、杖で体を支えながら、一歩、一歩、前進する。先生は子供のそばで保護しながら応援していました。幼稚園の子供たちはもちろん、出席した保護者も一体になって、“がんばれ”の声援が幼稚園の中で響いている。最後に、その3人の子供たちが全力でゴールし、園長先生から賞状を受け取りました。この競技は熱烈な拍手喝さいの中で終了しました。しかし、私は感動のあまり、その光景が頭の中からはなれず、他の競技を見ることができませんでした。 日本人であれば、これはごく普通であるのかもしれません。しかし、私にとってははじめての出来事でした。なぜならば、私は小学生から高校生までにおいて、運動会の時、学生皆が参加するものではなかったのです。運動神経が少しでも鈍い人、あるいは運動が得意でない人は参加できなかったのです。ただ、応援するだけだったのです。その寂しさ、悲しさは、心に長く傷として残っているに違いありません。しかし、このことに関しては、誰も関心を持たないため、自然に常識であるように認識されていました。その状況の中では私も何も感じなかったのです。しかし、日本の幼稚園での出来事を通じて、様々な感情が湧いてきました。日本では、人に対しての優しさ、温かい気持ちが感じられます。そして、自分の国は人の気持ちに対して、あまり考えていないと感じるのです。もちろん、近年少しずつ改善してきたようですが、より早く全体的に改善できるよう願っております。
こうして、留学生活を通じて、ひとつの優しい言葉、温かい気持ちの大切さがより一層わかるようになりました。時には人の心の支えとなり、癒されるのです。また時には、計り知れない力となれるのです。そして、物事に対して、前向きな考え方で挑戦し、努力すれば、道は開けてくると思えるような自分に出会えるようになったのです。もし、日本に留学しなかったら、前向きで、楽観的な自分には出会えなかったでしょう。今の自分が、出会ったすべての方々のおかげで、感謝の気持ちでいっぱいです。この場をお借りして、お礼を述べたいと思います。ありがとうございます。 これから、祖国に帰り、全力を尽くして、日本で身につけた人柄、知識を発揮し、日本で感じた、素晴らしいことを人々に伝えたいと思います。また、日本の文化、日本人の人柄についても伝え、理解してもらい、より一層日中友好の関係を深めて生きたいと思っております。御静聴ありがとうございました。 (原文のまま掲載) | ||||||||||||
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| 国際ロータリー第2530地区 県北第一区ガバナー補佐 菅野 家作 さま(二本松あだたらRC) | ||||||||||||
(1)木の魅力 (2)木は生きている (3)ヒノキと日本人 (4)木を求める苦労 | ||||||||||||
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