|
「納涼」。私たちは、何の抵抗も、ためらいもなく日常、口にし、書いている。今夜(8日)の例会も『納涼家族例会』である。
だが、「納涼の本当の意味は?」と問われると、口ごもる人が多い。「常識よ」「理屈っぽい」とソッポを向くものもいる。
何冊かの辞典を開いた。三省堂の<大辞林><広辞林>、岩波書店、学研の<国語辞典>も。大同小異で、いずれも『暑さを避けて、涼しさを味わうこと』。『すずみ』。ご丁寧に『古くは“どうりょう”といった』との注釈もあった。だが、何とも消化不良である。
ようやく、うなずいたのが漢和辞典の<新大字典>(講談社)だった。『納』には「おさめる」「支払う」「贈る」「差し上げる」「届ける」「引き入れる」さらに「しめくくる」という意がある。その中で「納涼」は「涼しさを贈る・差し上げる」ことをいう。つまり、同じ『納』の熟語でも「納会」「納税」「納盃」などとは違って、心のこもった前向き表現を指すというのだ。嬉しい解釈ではないか。
日本語はむずかしい。きょう8日は「立秋」、暦の上では早くも秋。そして「暑中見舞い」はもう使えない。「残暑見舞い」とせねば笑われてしまう。
だが、最近の日本人はいっこうに無頓着だ。ワープロブームが輪をかけた。誤字やあて字がまかり通り、平易な熟語でもかな字でごまかす。机上に辞典を。辞書に親しもう。文字の意味を理解しよう。大事なことだと思っている。
|