今日はスピーチの機会を与えていただき有り難うございます。私の任期もいよいよあと2週間余りとなりました。今は一日千秋の思いで6月30日のくるのを待っている心境であります。6月29日のいわき平クラブ創立50周年記念式典が恐らく最後の公式行事になると思います。短かったような長かったような1年で今は感無量であります。
まず最初に福島クラブの河田会長はじめ会員の皆様に御礼を申し上げなければなりません。それはガバナーのホームクラブとして、いつも私を支えてくださったことで、それがどのくらい私を勇気づけてくれたか分かりません。また私の片腕として地区の運営にかかわった草野幹事並びに副幹事、そして乏しい資金のやりくりにご苦労をかけた脇屋資金委員長にも心より御礼を申し上げます。
地区大会では、木下実行委員長はじめ会員の皆様の総力をあげた素晴らしい企画、運営をしていただきました。私は同期のガバナーの誼で他の地区大会に何度か参加しましたが、その中でも当地区の大会は、最も充実した大会であったと思います。
勿論、都会の大会は会場は立派でいわゆるハードの面では太刀打ち出来ませんが、きめ細かい運営に関しては抜群のものがあったと思います。改めて福島クラブのいさとなった時の結束と底力を感じました。しかし、木下会長には資金の面でご心痛をおかけしたことをお詫び申し上げます。
大会の中でRI会長代理のウィリアム・ボイドさんのスピーチも素晴らしかったと思います。今でもそのスピーチを時々読み返していますが、格調高い、内容の濃いものでありました。彼は将来、有力なRI会長候補であることを聞きましたが、宜(むべ)なるかなと思いました。
話が少し昔のことになりますが、いま振り返ってみますと、ガバナー・ノミニーを受諾し、決心した時のことを昨日のように思い出します。この話が私に持ちかけられたのは、1996年になります。この年はちょうど私が県北第1区の分区代理を務めた後で、申し合わせ事項により県北からガバナーを選出することになりましたが、故田中善六PGは福島クラブからガバナーを出すことをご自分の使命として考えられていました。
それは福島クラブでは、村上正徳先生、大原嘗一郎先生そして田中さんと約10〜12年間隔でガバナーを選出していましたが、事情が変わったにせよ17年もの間、福島クラブからガバナーが出ていないことに焦りと責任を感じておられたことは間違いなく、分区代理を努めた私に猛烈なアタックをかけられました。
しかしご承知のように私は一開業医であり、毎日患者の診療に追われている身でありますので、時間的に到底引き受けることなど出来る訳がありません。ようやく諦めていただき、そして福島東クラブの岩ア先生が急遽指名を受けられました。そのため岩ア先生は、分区代理を経験しないでガバナーに就任されましたが、これは地区では初めてのケースでした。
これで一件落着ですべて問題は解決したものと考えていましたら、2002〜2003年度に再び県北からガバナーを出すことになり、またまた話が蒸し返され、いろいろな経緯がありましたが、私も遂に押し切られ、八子英器会長の時に福島クラブから推薦、そして受諾となった次第であります。私にとりましては、まことに苦渋の選択でした。
この1年を振り返ってみると、患者、職員、家族に随分迷惑をかけたと思っています。果たしてそれを補うだけの価値のある仕事をしたのか、それを考え、総括するのはもう少し先のことになりそうであります。
2回のGETS、そしてアナハイムの国際協議会を経て、7月1日にガバナー就任し、7月9日より63クラブの公式訪問に入りました。私はこの公式訪問を、かねてより修行僧の行脚(あんぎゃ)に準(なぞら)えておりましたが、想像以上に大変ハードな努めでした。
しかし一方で多くの人との出会いがあり、そこにはさまざまな感動もありました。この期間中、私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をよく思い出し、何度か読み返していました。
ご承知のように「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ と続きさらに 丈夫ナ体ヲモチ 欲ハナク ケッシテ瞋ラズ イツモ シヅカニワラッテイル、そして次の言葉となります。アラユルコトヲ 自分をカンジョウニ入レズ ヨクミキキシ ワカリ ソシテ 忘レズ となり更に 東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ人アレバ行ッテコワガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクワヤソショウがアレバツマラナイカラヤメロトイヒ とあります。最後に サウイウ者ニワタシハナリタイ」で終わります。宮沢賢治は、この詩を公にするなどとは全く考えていなかったようでただ自分のメモとして枕もとに置いていたそうであります。これこそまさしく「超我の奉仕 Service adove Self」の世界であります。
さて21世紀に入り、世界はますます混迷を深めています。この時ロータリーには、何が求められているのか、一人一人のロータリアンは何をしなければならないのでしょうか。
ビチャイ・ラタクル会長は、「慈愛の種を播きましょう」と提唱されました。そしてマザー・テレサの言葉「どれだけたくさんの物を与えるかではない、大事なのはどれだけ満ち溢れる慈愛をこめて与えるかです」を引用され、「例え私たちが何をするにしても、その中には終始変わらぬ一つの基本があること、ロータリーにおける最善の親睦や奉仕は、常に愛の真心から出たものだ」と言われました。
ところで地区大会にRI会長代理としてニュージーランドから来られたウィリアム・ボイドさんは挨拶の中で「ビチャイ・ラタクル会長のテーマは、アジア的なテーマなので世界の他の地域では初め理解するのが難しいと感じたロータリアンもおりました」と言われました。財布の奉仕より心の奉仕とする思想は、行動が優先し、それには力も資金もいると考える欧米人には違和感があったのかもしれません。やはり欧米人と東洋人とではDNAの違いがあることを感じました。
これからの時代は価値観の変化が求められると思います。豊かさ、便利さ、自由、そして役に立たないものには、価値を認めないという価値観にはある反省が求められる時が来ています。
ここで、私は第2680地区の深川純一PGがある大会で講演された話を紹介したいと思います。これはスウェーデンで起こった話です。16歳の少女がサリドマイドを服用したために、手のない子供を産んでしまった。少女は手のない子供は不幸になると思って殺してしまった。当然殺人罪として起訴されました。しかし、世の中の人たちは不憫に思ってたくさんの嘆願書を裁判所に提出しました。裁判官もそれを見て、彼女を生涯監獄に繋ぐより、いま一度社会に戻して更生の道を歩ませたほうが良いだろうと執行猶予を言い渡した。
法律的にはこれで解決したのですが、しかし倫理の面では何一つ解決されていない。何故かというと神様から与えられた命が奪われたという事実は厳然と残っているからです。
ロータリアンとしてこれをどう考えるか。これは彼女が、手のない子供は不幸になると考えたこと自体が問題なのであります。効率の論理に支配された考え方です。手のない、役に立たない、見捨てられる、不幸という図式です。私たちは、ついこのような思考に陥りがちです。
しかし、21世紀は心の時代とか福祉社会だと言うのであれば、まず効率の論理を捨てて、新しい時代にあった論理を身につけなければならない。そうでなければ、福祉の概念ばかりが空転する結果になります。
福祉社会というのは、手のない子供が不幸になる社会ではない。生きている者すべてが、健常者も、身体障害者も、老人も子供もどんな弱者も、誇りをもって生きていける社会のことです。
これは効率の世界ではなく、質の世界です。法律の手の届かない倫理の世界です。これはまさしくロータリーの世界であります。これを成し遂げるには時間がかかります。ロータリアンはこれらのことを考え次の新時代の若者たちに話しかけていかなければならない。と言うのです。私は、この話に感動し多くのことを学びました。それと同時にこれを自分の問題として真剣に考える時が既に来ていることを実感しました。
ロータリーは、まだまだやらなければならないことがたくさんあります。2003〜2004年度のRI会長は、アフリカ、ナイジェリアのジョナサン・マジィアベさんです。そのテーマは、「手を貸そう」であります。21世紀に向かって一人一人がロータリーの未来をしっかり見定めて、慈愛の種を播き、そして多くの人々に手を貸していかなければならないでしょう。