陽春4月。信夫山の桜の蕾(つぼみ)が一挙にふくらみ出した。開花宣言は間近い。いよいよ花見だ。桜といえば、庶民になじみの多い成句が『花より団子(だんご)』。江戸いろはがるたに登場する。そのココロは「見て美しい桜の花よりも腹のふくれる団子の方がよい」。団子はダンゴそのものばかりでなく、飲み食いすべてを指す。「風流よりも実利、食い気をとるのが庶民の心」と皮肉ったものである。だが、満開の桜を見れば、飲みたい、食いたいの欲望は自然の成り行き。「花も団子も」を欲張りとキメつけるわけにゆくまい。
しかし、戦時中だったわが少年時代は「花より団子」は禁句。『欲しがりません 勝つまでは』と叩き込まれ、桜といえば『花は桜木、人は武士』を教訓に『七つボタンは桜に錨(いかり)…』の「予科練の歌」で士気を鼓舞されたのである。
だから、古稀を迎えた私は、今でも桜花を観るたびに、連想するのは「散り際のいさぎよさ、命(いのち)のはかなさ」である。そして、『年年歳歳、花相似たり、歳歳年年、人同じからず』の漢詩が口をついてでる。
この句は唐(6〜8世紀)の詩人・劉廷芝(りゅうていし)の「白頭を悲しむ翁に代わる」と題する有名な詩の一節。中国に桜はほとんどない。従って、彼らが花というのは「李花」(スモモの花)だが、桜と同じように4月、一斉に開花、人々は花見を楽しむのである。
花の名所はいつしか固定化し、毎春、同じように古木が花を咲かせる。だが、親しい友人、知人は年を経るごとに1人、2人と欠けて行く。このところ同世代の訃報が相次いでいるだけに、劉廷芝の言葉が身にしみてならない。
桜花については、ほかにも多くの成句・諺がある。『月に叢雲、花に風』(名月には雲が、桜の花にはなぜか風が邪魔をする。世の中は思うにまかせないことが多い)『花に嵐』『花の下より鼻の下』『花も一時(いっとき)』…。さらに直木賞作家・山本文緒の小説で有名になったのが『落花流水』だ。もともと、「咲き誇った花が散って、川に流れ行く晩春の景色」を指して、中国で言ったのだそうだが、「落花」は女、「流水」は男を象徴するとの説も。「落花(女)には流れる水にまかせて流れたい気持ちがあり、一方、流水(男)には落花を浮かべたい気持ちがある」というわけで、相思相愛の“男女の仲”を称して『落花流水の情』といった。今、はやりの「男女共同参画社会」に、この言葉、どう反応するだろうか。