日銀福島支店・職場訪問例会。実に23年ぶりの実現である。
歴代支店長は昭和26年1月の味田順三郎チャーター・メンバー以来、わがRC会員を続けられている。「東京交歓会」にも多くの元支店長がカオを見せ、福島と中央のカケ橋役を果たしている。深い絆である。
私もカケ出し記者の昭和29年以来、歴代支店長にご指導いただいた。なかでも忘れられないのが鎌田正美支店長。在任期間は27年4月から30年11月まで、3年半に及んだ。この1月30日、天寿を全うして死去。93歳。謹んでご冥福を祈る。
戦後の福島支店長で日銀理事になられた方はたった3人。鎌田氏と多島達夫氏(40.5―41.9)、太田赴氏(48.10―50.4)だけだ。ほかに舟山正克氏(57.5―59.6)が監事になられたが、この記録でも分かるように、鎌田氏の足跡はひときわ光る。
「銀行・証券回り」を上司から命じられた新米記者の私は市政・県政クラブに籍を置きながら、週に何回も日銀に足を運んだ。ネタだけが目的ではない。鎌田支店長に経済の仕組みを教えていただき、人生を学んだのである。支店の皆様も懇切に接してくださった。時には夜更けまで隈畔の支店長宅で。当時の支店は、私にとって有り難い「開かれた日銀」だったのである。
鎌田氏は本店人事部次長に栄転が決まった。私は感謝の気持ちで取材(単独対談)を申し出た。快諾くださった。一夜、支店長宅でお会いできた。書きまくった。膨大な記事量だった。編集幹部も驚き、福島民報は1面トップで報じた。『鎌田支店長・福島県への忠告・他力本願改めよ』(30年11月12日付朝刊)。特ダネ。大反響だった。
あの記事を書いて、間もなく50年になる。職訪例会に際し、当時の鎌田氏のカオを思い出した。活字が脳裏によみがえる。福島民報メディア室からコピーを取り寄せた。まさしく、今に生きる大胆かつ勇気に満ちた的確な忠告だった。その一部を再録。噛みしめることも職訪例会のひとつの目的だろうと思っている。
『…本県経済人の大きな欠点はなんといっても“他力本願”だ。自力で困難を打開して行こうという気概が足りない。…なにかあるとすぐ泣き言をいう。県など公の機関に頼ろうとする。そして補助金をもらったりすると、妙に得意がる。…日銀が福島に支店を開いたのは明治32年、それは当時、福島の経済、金融が動いていたからだ。ところがその後、はかばかしくない一つの原因は福島県の経済人が、経済より政治に優位性を持たせたからだ。経済の発展をすぐ政治に結びつけて解決しようとする。…政治と経済は密接不可分だが、経済が政治に左右されず、一本立ちすることが先決だ。そうでないと強力な経済力など生まれないだろう…。』