余白 RCロゴ
▲マーク 活動計画一覧
 
福島ロータリークラブ≪例会≫
例会日:平成15年2月27日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
≪今週のことば≫『RCは“前倒し”、次年度行事始まる』  河田 亨 会長
 明後日から弥生3月、日本では3月を年度末という。4月の新年度を前に一斉に“仕上げ”に入る。1年で最もあわただしい時期である。

 ロータリー年度は7月1日から。従って次年度まで、まだ4ヵ月を残し、時間的には“中間期”だ。しかし、“前へ前へ”の新体制はRIの指示もあって、次年度のプログラムが2月下旬、早くもスタートした。第2530地区での「地区チーム研修セミナー」がそれで、2月23日(日)の早朝9時から郡山市内のホテルに招集され、延々7時間余も勉強してきた。この日は奇しくも「ロータリー創立記念日」。1905年のこの日、シカゴにロータリークラブが発足したのである。それだけに土屋繁一ガバナーエレクト、阿久津肇ガバナーはじめ、リーダーの各パストガバナーは8つのセッションで熱弁、次年度テーマの「手を貸そう」(「Lend a Hand」)と明後年のロータリー100周年を軸に『原点に返って、奉仕と研さんに励もう』と強調した。

 招集されたのは、次期の地区役員(ガバナー補佐、委員長、小委員長ら)50余人で、私はクラブ奉仕・広報小委員長を任命された。今年度は全力投球で対応しているので、次年度は“一服”させて頂こうと思っていたが、土屋氏は私を休ませてくれない。観念して、取り組む決意を固めた。よろしくお願いしたい。また、当クラブから次年度役員に決まった各氏( 別掲:福島RC 2003―2004年度 役員・理事 委員会名簿 ←Click!! )は、本当にご苦労様。ご健闘をお祈りする。

 さて、このように次年度プログラムは“前倒し”で早々と踏み出し、3月1〜2日は磐梯熱海「一力」で会長エレクト研修セミナー、4月16日は郡山で地区協議会の正副リーダー打ち合わせ会、そして5月18日は去年、福島学院短大で開催されたような地区協議会が郡山の日大工学部で開かれることが決まった。

 加えて、慣例によれば、次年度のガバナー公式訪問は、直前ガバナーのクラブがトップを切ることになっているため、当クラブの諸準備も早手回しで着手せねばならない。今年度を締めくくる諸プログラムも相次ぐ。本日(27日)夕の新会員セミナーをはじめ、IM、新世代会議、ライラ研修会、東京交歓会、職場訪問例会……。

 この間、各会員は新年度の役割と“二枚カンバン”で大忙しだろう。有終の美を飾ることと盤石の次年度体制づくり。かつて経験したことのない「大繁忙の前倒し年度末」である。ご精励をお願いしたい。

≪新会員スピーチ≫ 『「情報網」整備のお手伝い』 東日本電信電話(株)福島支店長 小暮 啓史 会員
 25年前、私が入社したのは電電公社でしたが、7年くらいで民営化でNTTという会社に変わりました。そしてわずか20数年でまた会社が分かれ、東日本電信電話(株)という会社に変わりました。

 昔は、電話を申し込んでも順番待ちで随分時間がかかりました。これを解消することと交換手を介さずダイヤル直通というのが、電電公社時代の二大目標で、私が入社した53年は「二大目標悲願達成の年」でした。その後、今のようなマルチメディアというような洒落たカタカナはなかったので、非電話、ファックスなどの普通の電話ではないサービスをやっていこうという時代でした。

 ここ10年は営業の肩書きが取れませんが、私は技術屋として無線の技術を担当しました。今は、光ファイバーで通信をつないでいますが、昭和50年当時は光ファイバーはなかったのです。遠い町に電話をつなぐためにテレビに使うような同軸ケーブルとマイクロ波という無線を使っていました。光ファイバーが出てきてからはほとんど置き換わっています。今は無線というと携帯電話のようなイメージがありますが、当時は電話機と電話機をつないでいくマイクロ波が主流でした。

 60年代にNTTの時代に入り、公共企業体から民間になり、いろいろな意味で合理化と近代的な業務運営が必要になり、アメリカではコンピュータは利用技術の進展が早かったので、とても技術が追いつかないと思ったこともありますが、コンピュータが小型化して、以前の技術をベースにする必要がなくなり、何となく遅れていたものも少しカバーしてもらったということもございます。

 平成4年に神戸勤務になりました。当時はインターネットの黎明期のような時代で、大学の先生や研究者など一部の方々だけで細々としていたネットワークが、アメリカの学生が開発したソフトウェアで、今のホームページのようなものが使えるようになったのです。
 しかし、当初は今のような有用なものになるとは考えられませんでしたが、アッという間に使われるようになってきました。

 平成7年1月17日に地震になり、当時、新聞などで社会インフラという言葉が一般用語になりましたが、混乱した状況の中で、電話が使えるということが非常に大事だということを入社以来初めて経験しました。ただ身贔屓のようですが、NTTとかJRさんなどの復旧は早かったと思います。私も電話復旧に当たっていましたが、JRさんや通信事業にかかわってこられた方々は、いろいろな経験を積んでおられますから、指示が出る前、最初の一月くらいの間に手が打てたのだと思います。

 福島へ来て、各自治体の地域情報ネットワークの整備のお手伝いをしております。そんな中で、小学校の生徒さんたちと、中学校の生徒さんたちの笑顔が、ディスプレイに広がった瞬間、それまで、硬い顔をして回りで見ている人達の顔々が、みんな笑顔に変わります。光サービスで結んだ笑顔は、本当にリアルで、時代の進歩を感じさせます。

 学生時代はワンダーフォーゲルにいて山歩きをしましたが、最近はスケールが落ちました。早く暖かくなって福島の山を散策するのが楽しみです。時間と元手がかからないいい趣味だと思っております。

 ポピュラーミュージックも好きですが、最近は、昔好きだった歌手たちがアメリカで昔のような声で元気に歌っていて、コンサート会場で録音したものなどがインターネットにあったりして、聴けるという意味ではいい時代になったと思います。

 家庭は女房と娘3人。一番下がようやく高校生になり、新体操に燃えています。本人はオリンピックに行くと、頑張っています。親もそうなってほしいと、少し親バカでいようと思っています。  こんな人間ですが、よろしくお願いいたします。


活動計画一覧へ戻る
各ページに掲載の「写真・記事」のコピーや転載を堅く禁じます。
Copyright(C)Fukushima Rotary Club 2003. All rights reserved