大変身勝手な解釈ではございますが、今年度の国際ロータリーのテーマである「慈愛の種を播きましょう」の観点から平和をとらえ、平和な状態を保つための種は何であろうかという視点で、卓話をさせていただきます。
平和であるという状態は、戦争やもめごとがなく世の中や家庭が穏やかであることです。国と国、人と人が安らかで落ち着いた状態を保てれば、平和な国、平和な家庭になります。そのためには日頃から相手の気持ち、思い、考えをよく理解しようと努力し、よく分かろうとする気持ちの積み重ねが必要です。お互いがよく理解し合えれば、世にあふれる紛争にも解決のヒントを見出すことができるでしょうし、職場や家庭でのもめごとも少なくすることができるでしょう。そして平和が保たれることになります。
さて、よく分かり合うためには、まず相手の話を聞くことから始めなければなりません。ところが困ったことに、昨今は人の話が聴けない人が増えています。この場合の「聴く」は自然に聞こえてくるものを聞くというのではなく、十四の心をもって耳を傾ける傾聴で、心から聴くことです。
タルムードというユダヤ格言集の中に「人間は口がひとつなのに耳はふたつ。それは人間が話すことの二倍は聴かなければならないから」ということがあります。でも、口の二倍聴くとなると、よほど聴く姿勢と聴く耳を開放しておかなければ間に合いません。
傾聴は丁寧に聴くことがポイントです。人は傾聴されると大変心地よいので、聴いてくれていると実感したとき「本音」がでます。そこで初めて分かり合えます。ですから話を積極的に聴いていますよ、といった受容的サインを出し、相手の気持ちを理解しながら聴く必要があります。反応のない聞き手に話すことほど、つらく、おもしろくないものはありません。具体的な反応の示し方として、相づちを打って聴く必要があるのですが、最近はお互いに余裕がなくなってきたせいか、この相づちが無くなりかけています。お釈迦様は、話というものは毛穴で聴くものだと仰ったそうですが、一朝一夕にはお釈迦様のレベルに達せませんので、まず慈愛の「愛は相づちから」とキャッチフレーズ風に申し上げておきたいと思います。
しかし相づちの打ちかたは、なかなか難しいものです。相づちは、変化のあることが望ましく、あまり大げさなものでも困ります。その場や内容にふさわしい相づちを打てば、こちらの積極的に傾聴しようという思いが相手に伝わって、相手の考えや気持ちが分かり、より平和な状態に近づくことができます。「平和の種」は意外と身近なところにあって、しかもその種を播くことは、誰にでもできるのです。その種から芽が吹き、やがて大きな平和の実がつくためには、皆様のロータリーの活動と同じく「常日頃」がとても大切であると考えます。
ご清聴ありがとうございました。