ロータリーの始祖ポール・ハリス氏は1947年1月27日亡くなった。そのためRIは27日をはさむ1週間を「ロータリー追悼週間」と決めており、当クラブでは今日30日が「追悼例会」である。
私たちはこの1年、卓越したリーダー3人を失った。田中善六氏(T11.5.15生)、渡辺正之氏(T15.9.16生)、鈴木守氏(T15.11.16生)。ともに会長経験者で、田中氏はガバナーをも務められた。
本日は、遺族の方々にもご出席を頂き、3氏の業績を偲び、ご冥福を祈るわけだが、この機会に、3氏が生まれた大正10年代はどういう5年間だったかを、振り返ってみたい。そうした気持ちになったのは、渡辺氏が生前、病魔と戦いながら、『明治大正医事ノート』という700ページに及ぶ立派な本を出版されたからである。この本は医療現場のことだけでなく、社会情勢、文化さらに物価など資料をたんねんに分析、記述されている。従って、氏の本やマスコミの記録などを参考にしながら、大正10年代を回顧するのも3氏の追悼にふさわしいと思っている。
「大正デモクラシー」「大正ロマン」――明治以来の文明開化がすっかり根づき、日本全土で“自由”を謳歌、たくましく飛躍したのが、この時代だった。政党政治はしばしば政争、騒乱を巻き起こしたが、「普通選挙」の実現(大正14)で政治への国民の関心は高まった。労働運動も活発で、ストに軍隊が出動することもあった。
一方、パリ・モードが初めて紹介され(大正11)、山野千枝子が丸ビルに美容院を開設(大正12)したのをきっかけにモダンガール(モガ)の断髪、造花の髪飾りが大流行、ハンドバッグが普及した。男性の洋服が実用化し、女学生のセーラー服も全国に広がった。
文壇もにぎやかだった。芥川龍之介、久米正雄、志賀直哉らが競って新作を発表、「文芸春秋」が菊地寛らによって12年1月に創刊され、既刊の「新潮」に対抗した。
そんな折、関東大震災が12年9月発生する。死者9万9千人余。東京・横浜は壊滅状態。東京には戒厳令が発せられた。しかし、国民は復興に雄々しく立ち上がり、短期の復活は世界を驚かした。
福島のマチも変わった。鈴木氏が学んだ官立の福島高商(現福大経済学部)は大正11年の開校、東北唯一だった。日本銀行福島支店はこれより先、明治44年に東北のトップを切って開設されており、「福島は経済・金融のマチ」と称された。日東紡が福島に本社・工場を創業したのも14年だった。
福島・飯坂間電車の開通は13年。電車には若い5人の女性車掌が交代で乗務(15年)、全国に話題を巻いた。
また、当時、福島第1の美観は隈畔に架けられた鉄橋の松齢橋(14年完成)だったとの記録もある。