故 田中善六パストガバナー追悼例会
例会日:平成14年4月25日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ  三宅 喬 会長 
 本日は、ご案内のように田中善六パストガバナーを偲んでの追悼例会でございます。改めまして黙祷を捧げたいと思います。只今は財団に対し大口寄付をいただきましたことに対し感謝申し上げる次第であります。私が1月にお見舞いにお伺いしたのが最後となりました。その時はまさかこんなに早くお亡くなりになるとはとても信じられませんでした。全国広しと言えどもガバナーとしてもまた、ロータリアンとしても田中パストガバナーのような方は数少ないのではないかと思います。

 過日、二本松R.C.の40周年に出席した際、P会長であられた桑島利力さんと出会い、田中パストガバナーのことでお話しする機会がありました。そして桑島さんが会長時代、田中パストガバナーに講演を依頼し「ロータリーの心」と題してお話された時の内容を小冊子にまとめられた本を送付されてまいりました。当クラブでも何回となくお話をされましたが、このような形で残っているかどうか分かりませんが大変貴重なものではないかと思います。その一部を紹介いたしますと『私がロータリーに大きな喜びを感じていることに、出会いの喜びがあります。人と人との繋がり、絆です。徳川300年の基礎を築いた家康に仕えた柳生家は「縁があってもそれを知らない人、縁があってもそれを生かさない人がいる。お前達子孫は袖振り合う縁をも生かしなさい」こんな家訓を残しました。縁を生かす、私はご縁があったからこそ、本日皆さまにお目にかかれたのです。』と言われ、これらにまつわるエピソードを語られており、まさにロータリーの真髄をきわめられた方でなければという思いで読まさせていただきました。今振り返って、その損失の大なることを改めて感じた次第であります。

 私のような未熟な者にとって常々ロータリーは何かという思いが、この小冊子を読んでその疑念が拭いさられ、すっきりした気分でした。新入会員の方の必読書として、また、会員増強のための資料としても使用できるものではないかと思います。私のような者がロータリーについて何篇も話すよりも、この書を一度読んでいただくことの方が、はるかに説得力がありロータリーを理解していただけるものだと思います。この小冊子を私どもの財産として保存し後世につなげたいと思います。会員の皆さまも是非ご一読いただければ幸いと存じます。

スピーチ 「田中善六パストガバナーを偲んで」  阿久津 肇 ガバナーエレクト 
 田中さんが亡くなられてから早いもので、1ヵ月余りになりました。
 今にも手を振りながら、ひょっこり出てこられるような気がしてなりません。亡くなられるちょうど一週間前の3月13日に、佐原ガバナーと私が病室に呼ばれ「超我の奉仕賞」を受賞されたことを大変喜ばれ、感謝の言葉があり、お礼として地区に多額の寄付をいただきました。これはいずれ田中基金として地区で保管することになると思います。1週間後に亡くなられるとは、その時夢にも思いませんでしたが、しかし疲労の色は濃く、佐原ガバナーと私に話しかけられる中に何か決意をされたような気配を感じました。

 私が福島ロータリークラブに入会したのは、1977年ですから既に25年になりますが、田中さんと特に身近にお話をするようになったのは、1983〜84年度田中さんが地区ガバナーに就任され、その年私がクラブ幹事を努めた頃と思います。

 当時田中さんは、61歳ですから今からみますと大変若くしてガバナーに就任されたのであります。私は古希ですから、10年近く遅い就任になります。この時の思い出も数多くありますが、時間の関係で省略します。

 その後1987〜88年度、まだ山形と同じ253地区の時代に、地区のロータリー財団推進小委員長予定の方が、年度直前になって突然体調不良のため医師の診断書を添えて辞退されるというハプニングがあり、当時PGとして地区の財団委員長をされていた田中さんは大変困惑され、私になんとか引き受けて欲しいと要請があり、その年ロータリー財団推進委員長を努めました。私が地区の仕事をするようになったのはこの時が最初でしたので、印象深く記憶しています。

 そして次の年度から同じ財団の奨学金・学友小委員長を4年間務めることになりました。これは経験のいる大変苦労の多い死後で、緊張の連続でしたが、それなりに勉強になりました。国際協議会での研修の時にもこの時の経験が役にたちましたので、改めて田中さんの親心を遠くアナハイムで感じた次第です。

 私は2000年1月20日、福島ロータリークラブの臨時理事会でクラブのガバナーノミニー推薦書に受諾のサインをしましたが、この決意をさせたのは田中さんの長い間の説得があったからであります。

 いま思い出してみても忘れられないのは、田中さんがある夜、私の自宅に来られ、私と家内を前にして、もうタイムリミットがきているので、何とか決断をして欲しいとガバナー就任を強く懇請されたのです。

 そのロータリーへの切々たる心情と熱意、そして福島ロータリークラブからガバナーを出したいというクラブに対する限りなく熱い思いを諄々(じゅんじゅん)と説かれました。聞いている私の胸も熱くなりました。

 それまで一開業医で患者をかかえている身ですので、到底無理なこと、またロータリーの知識不足、精神的にも余裕がないことから再三固辞していたのですが、その夜ついに覚悟を決めざるをえなくなりました。

 その夜の田中さんとの出会いがなければ、私のガバナー就任はなかったと思います。

 そうした私のいわば苦渋の選択の気持ちを重々察しておられて、昨年11月東京で行われたガバナー会には、私の電車の切符まで手配をされ、会場では日本のロータリーの長老といわれる方々のところに連れていかれ「今度ようやく私の福島ロータリークラブからガバナーが出ることになりました。よろしく。」と紹介され、私は緊張のし通しでしたが、田中さんが本当にうれしそうな様子だったのを昨日のことのように思い出します。

 アナハイムの国際協議会から帰国し、地区チーム研修セミナー、会長エレクト研修セミナーを終了し、その都度報告に病床を訪ねると応援できなくて申し訳ないと言われていました。私も、今後いろいろ相談をしたり、ご意見を伺ったり未熟者を支えていただきたいと思っていましたが、それも今は叶わず残念に思います。

 この後地区協議会が終わると、7月1日から任期に入りますが、7月9日喜多方クラブよりいよいよ62クラブの公式訪問は、ガバナーにとりある意味では、僧侶が修行のため各地を巡る「行脚」であると思っています。

 一つ一つのクラブを訪れ、多くの人と触れ合い、語り合い、ロータリーへの理解を求め、そして自己研鑽を重ねるものだからです。

 四国巡礼では、同行二人(どうぎょうふたり、またはににん)と記した笠をかぶり、たすきをかけて霊場を巡り歩きますが、これは巡礼は一人でなく、いつも弘法大師と一緒だということのようです。田中さんは浄土真宗ですが、これと同じように

「一人いて喜ばば、二人と思うべし。その一人は親鸞なり」という言葉があります。

 私は、いま数々の思い出を胸にして田中PGと一緒に同行二人の心で、約4ヵ月にわたる公式訪問を成し遂げたいと思っています。

 改めて田中PGのご冥福をお祈り申し上げます。

田中善六パストガバナーを偲んで  東條 潔 会員 
 3月20日午前2時45分逝去。
 戒名 善王院釈氏成道清居士

 故田中善六PGの推薦で当クラブの会員になられた康善寺住職の海野卓哉会員のご尊父とロータリー入会が同じ日であったという因縁も、福島ロータリークラブの会員の幅の広さと絆の強さを感じます。

 亡くなられる前夜、近親の方、会社の方のお見舞いに「有難う、有難う」明日の会社の仕事があるからもう帰りなさいと23時頃、みんなを帰宅させたと伺いました。故田中善六会員と同じ大正生まれの大東亜戦争を戦ってきた大原光雄会員、野口主会員、中村忠司会員、脇屋隆治会員、それに私どもは1月以来、それぞれ木曜日例会の度ごとの帰途にお見舞いに伺っておりましたが、亡くなられた週の木曜日(14日)に伺った際は病状が進んでいる事が我々の眼にも感じられました。いつもは床の上で座ってお話をなされていましたが、その日は疲れるから横になって話をさせてもらいます。「いろいろと有難う」と握手を求められました。私には最後までとうとう一言も病名を語られませんでした。12月にご本人、ご家族に告知されていたにもかかわらず「心配させたくない」と口を閉じられ、早く外来で治療に通院できるようになれば良いなぁと口にされておりました。本日の追悼例会で故田中善六PGの奥様の前でスピーチの機会を与えてくださいました事、厚くお礼申し上げます。

 人は頼りにする人、心の支えになった人を失うと心が空っぽになるものだとつくづく感じていますのが、今の心境でございます。先週の職場例会で三宅会長が今も隣にいらっしゃるような気がしてなりませんと申されましたが、全く皆さまも同じだと存じます。告別式でのご遺影のお写真のあの語りかけるようなお姿が目に焼き付いております。恒例になっておりました、クラブのその度ごとの乾杯の前のごあいさつに話されました短いスピーチに聖書や仏書、あるいはベストセラーからの引用のスピーチによく読書されていると感心いたしておりました。弔問2,000人のすべての方々とのお付き合いの合間に。故田中善六陸軍大尉。かつての陸軍将校団の我々が亡き戦友を送る際、唄ってきた「遠別離」を今歌わせていただきたいと思います。

 「程遠からぬ旅だにも、袂(たもと)、別(わか)つはうきものを千重の波路をへだつべき今日の別れをいかにせん」

また当日捧呈だけにとどめられました一期後輩の陸軍中尉伊藤司の偕行会会長としての弔辞を奥様の許可を得ましたので読ませていただきます。

『謹んで、今は亡き田中善六先生のご霊前にお別れの言葉を申し上げます。
 昨年の11月12日(月)、陸軍士官学校(陸士)出身者の集いである福島偕行会の総会が会津若松の東山温泉で開かれましたが、先生には会長として元気なお姿を私ども会員一同の前にお見せくださいました。それが、いつ頃から病魔の侵すところとなったのでしょうか。3月20日(水)早朝「先生戦死」の突然の悲報にただただ呆然としてまだ信じられない気持ちがあります。

 個人的なことになってしまいますが、先生には大変親しくしていただきました。何かとご指導を賜りました。実は先生は私の一年先輩の陸士56期生であり、また福島医大に倫理委員会がつくられた昭和61年から今日に至るまで、学外から選任された委員として先端医療に従事する大学の医師の倫理についてご審議をいただきました。私は昭和61年から平成4年までの6年間、学長の職に在りましたが、医学的には門外漢であるはずの先生が会議では、いつも正当的確なご発言をされていたのには驚かされました。この度先生のご訃報に接し、改めて先生から拝受していた「私の半生」それは、昭和63年8月5日から30年間にわたり福島民友新聞に掲載された自伝記を、人間ドラマを見る思いで読み返しました。

 先生には、今を遡ること50有余年先の大戦には、青年将校としてビルマの山野で英軍と死闘を重ね、幸運にも九死に一生を得て、無事に祖国日本に帰還することができました。その後の人生はまことに波乱に富んだものでありましたが、遂に昭和34年、運動着製造販売の株式会社「クラロン」を設立され、幾度の苦難を克服されながら、今日の隆昌を見るに至りました。先生は常に「一瞬則永遠」なる言葉を座右の銘にされて、巡り合った方々からの尊い教えと、温かな友情に支えられ瞬間、瞬間を全力投球で過ごしてこられたと言い、そして「半生記」の最後を「これからは、天から与えられる余生を元気で一つずつ恩返ししながら悔いなく生きていきたい」と結んでおります。改めて申し上げるまでもありませんが、限りある命をどう生きようかを考えることが出来るのは、人間だけです。「人間は死に向かって成長する」と精神分析者のエリクソンは言っておりますが、人間だけに許された「考える」特権を実践し、見事に開花結実されたのが先生であります。

先生には、これからも種々ご教示を賜りたいものと考えておりました。この度のご逝去は誠に惜しまれてなりません。先生の在りし日のお姿は、この世から失いましたが、先生には私ども一人ひとりの心の中にいつも生きていることを信じて疑いません。申し上げれば限りなく惜別の情は尽きませんが、ここに謹んで、哀悼の意を表しご冥福をお祈り申し上げて弔辞といたします。』

弔 辞
 謹んで国際ロータリー第2530地区パストガバナー田中善六さまの霊前に福島クラブを代表してお別れの言葉を申し上げます。

 昨年11月に体調を崩され入院されており、私がお見舞いに伺った2月17日には大変お元気な様子でまさかこんなに早くお亡くなりになるとは思いもよりませんでした。去る20日の朝、突然の悲しいお知らせには会員一同耳を疑いました。田中パストガバナーは1968年に福島クラブに入会され、1972年にクラブ幹事、1974年に大原甞一郎ガバナーの時の地区幹事、1977年クラブ会長、1979年県北分区代理、1980年川俣ロータリークラブ特別代表、1983年国際ロータリー第268地区地区大会RI会長代理を務められ、さらに2000年国際ロータリー第1ゾーン会員退会防止コーディネーターとして活躍されました。このほかマルチプルポールハリスフェロー米山功労者など枚挙にいとまがありません。まさにロータリアンの手本であり、地区内だけにとどまらず国際的にも強力なリーダーシップを発揮され、その手腕は誰もが認めるところでありました。ロータリーの奉仕の実践を身をもってなされたことに対し2001年12月に世界のロータリアンに贈られる最高の栄誉である「超我の奉仕賞」を受賞されました。このたびの訃報は受賞祝賀会を企画していた矢先のことで誠に口惜しく残念でなりません。

 来る2002年〜3年度には福島ロータリークラブから4人目となる阿久津ガバナーが誕生いたしますが、それを一番待ち望んでおられたのが田中パストガバナーであっただけに、就任目前のご逝去はいかばかりかとご推察申し上げます。

 もとより我々クラブ会員一同全力を挙げて阿久津ガバナーを支援していく覚悟でありますが何とぞお導きくださいますようお願い申し上げます。

 今あなたさまを失ったことは福島クラブはおろか国際ロータリーにとっても、その損失は計り知れないものがあります。

 ロータリーは職業奉仕が基本であることを実践され企業経営においても、またその他各種団体においてもロータリー精神を発揮されました行動はまさに超我の奉仕そのものであったと思います。個人的には22年間、席を同じくさせていただきました。特に昨年、会長職を仰せ付かった折にはロータリーに関することのみならずリーダーとしての資質役割等、心温まるご教導をいただき私にとって人生の師といっても過言ではありません。

 当クラブは50周年を終え、ひとつの区切りとして51年目を再飛躍の年にと思っておりましただけに、これから田中パストガバナーの薫陶が得られないかと思うと戸惑うばかりです。

 この重さそしてこの悲しみから抜け出すには多くの時間がかかるかと思います。
 しかし私達は立ち止まることは許されません。
 今日までの教えを心に秘め、努力してまいることをご霊前にお誓い申し上げます。

 田中パストガバナーどうぞ見守ってください。応援してください。
永い間ありがとうございました。
 安らかにお眠りください。

合掌
平成14年3月24日
福島ロータリークラブ  会長  三宅 喬

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