福島ロータリークラブ≪例会≫
例会日:平成13年11月1日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ  三宅 喬 会長 
 市内8クラブの会長会が三浦G補佐の音頭のもとで去る24日に行われました。この主旨は、ご案内のように福島国際音楽祭協会が結成され、このなかにR.C.が加盟したことによるものであります。代表理事の決定と支援するための活動方針が話し合われました。代表理事については歴史の古い順番ということで今年度は当クラブが務めることになりました。今後のこのための会長会には社会奉仕委員長も同席することになりました。また、活動方針については新世代を中心としたところの小・中高生を対象に音楽祭への参加および招待等も勘案しながら、青少年活動に結びつける目的ではどうかという提案がなされ、全員が了承いたしました。特に高校だけでも担当制を置くことになり、当クラブの担当は私立が東稜高、公立は福高となりました。

 来年度の第2回の開催にむけて安永総監督の下で、すでに第一回実行委員会も行われ演奏家の主要メンバーも内定しているようであります。詳しくは安永さんのお話を聞く機会をつくりたいと思っております。

 区の垣根を越えての会長会はおそらく初めてではないかと思いますが、大変有意義なものでした。この結果、副産物として、これまでに何度となく議題になっていたかと思いますが、例年行われていた新年クラブの新年に飯坂クラブの参加が決定されました。また、この会を通して市内クラブが一体となって新規事業が展開されれば最適ではないかとも思った次第であります。

 もう一点は一昨日、会員増強PJ委員会が開催され、先々週の例会の総括を行い、約20人くらいの候補者を選び、個々の担当者も決め、それぞれが、その任にあたっていただくことになりました。指名された方々には大変ご苦労かと思いますがよろしくお願い申し上げます。

 最後に本日、18時から歴代会長会によって指名委員会が開かれます。クラブ細則第一条第一節の規定による次年度の役員、理事の人事が行われます。その結果をもって12月の第一週例会を一時、年次総会に切り替えて、来年度の役員、理事の選挙を行うことになっておりますのでご報告申し上げます。

スピーチ「ロータリー財団月間にちなんで」  杉本 明 ロータリー財団小委員長 
 9月8日、ロータリー財団委員会セミナーが郡山ビックパレットで開かれ、三宅会長と私が参加し、ロータリー財団活動の歴史と現状、その重要性につき2時間にわたりレクチュアを受けた。

 3日後の9月11日、アメリカで起こった同時多発テロが世界情勢を一変させた。あれから50日経過したがアメリカ、イギリスの武力行使に対し、タリバンは徹底抗戦の構えを崩さず、第2第3の自爆テロを予告している。アフガン難民はパキスタン国境にあふれ、一方炭疽菌の発症者がアメリカ各地で急増し、死者4人とバイオテロの脅威が現実のものとなってきた。

 「人類が私達の仕事」国際ロータリーの今年度のテーマですが、準戦時ともいわれる不確実な国際情勢の中でロータリーの役割はますます重要になってきたと思う。

◎ロータリー財団の使命
国際ロータリーの活動を支え、国際レベルでの教育的、人道的、文化交流的プログラムを通じ、世界理解と平和の達成を目指す。
余白
◎ロータリー財団の歴史
1917第6代会長アーチクランク創設
慈善、教育、その他社会奉仕の分野で全世界を対象とした活動基金設立。
1928ロータリー財団と命名
1947ポールハリスの死を悼みその業績を記念し、ロータリー財団資金募集を開始。
ロータリー財団奨学金制度スタート。
余白
◎ロータリー財団の主なプログラム
・ポリオ撲滅活動への補助
・人道的国際奉仕プロジェクトのため、同額補助金
・保健、飢餓追放、人間尊重(3H)補助金
・研究グループ交換(GSE)
・国際親善奨学金  etc
   活動資金
  1999〜2000  1億ドル
  1947〜2000  10億9100万ドル
余白
◎ロータリー財団の現状(2000.6現在)
全世界の寄付累計11億6831万ドル
日本2億7145万ドル(23.2%)
 前年度寄付(1999〜2000)
全世界寄付7368万ドル
日本1638万ドル(22.2%)
余白
◎寄付の種類
(1)次年度プログラム基金(年次寄付)
 1000ドル→ポールハリスフェロー
 100ドル→ポールハリス準フェロー
 1000ドル2回以上→ポールハリスマルチプルフェロー
 1万ドル以上→大口寄付
 次年プログラム基金として3年間保管、投資、そして3年後に使用。
  60%→地区に還元
  (財団奨学金など地区財団活動基金に)
  40%→国際財団活動基金
  (GSE職業研修補助金、3H運動 etc)
(2)使途指定寄付
(3)恒久基金(ベネフェクター)への寄付
余白
◎2530地区財団寄付実績
1997−199825万ドル達成率93%
1998−199927万ドル90%
1999−200028万ドル95.5

2000−200129万ドル
2001−200229万ドル
今年度の当地区の目標額
  昨年と同じく29万ドル
  全員1人100ドル寄付運動展開中
 私達は寄付を通してこれらの多彩な活動に参加しているのです。逆に寄付が途絶えると諸活動がストップしてしまうのです。
 さて、来年2002〜3年は、阿久津ガバナー年度を迎えます。11月17日、事務所開きが行われますが、福島ロータリーが2530地区をリードする重要な年になります。
 内外情勢はますます不透明感が強まる感じですが、私達は世界に目を向けたロータリアンでありたいと思います。
 福島ロータリーは、
1人100ドル寄付
さらなるポールハリスフェローの誕生を目指し、皆さまのご協力とご理解をお願いいたします。

新入会員スピーチ「笛吹童子」  紺野 邦武 会員 
(子供の頃)

 私は昭和18年3月の生まれで、戦争の体験はありませんが戦後の食糧難は身にしみている世代です。

 生まれ育ったのは信夫郡平野村、現在の福島市飯坂町平野で、当時はまったくの「ざいご」でした。子供の頃を振り返ると、反抗心が強く、屁理屈を言っては親を困らせる「かすかだり」でした。実は今でもあまり変わっていないのですが。勉強に追われることもなく、今頃であれば稲刈り後の田んぼで暗くなるまで野球を楽しみ、家に帰っては調子の悪いラジオをたたきながら笛吹童子や紅孔雀に胸をわくわくさせるといった実にのんびりした毎日でした。平野小学校では、子供達が騒ぎすぎて授業にならず、私も廊下に立たされ先生のビンタで顔が膨れたこともありました。今なら学級崩壊とか教師の暴力とかで大騒ぎでしょうが、当時はおおらかなものでした。

 その後、飯坂中学、福島高校を経て慶應義塾大学の経済学部に入りました。最初のうちは都会生活に慣れるのに精一杯で、都会出の友人が朝日ジャーナルを手に政治や経済をかっこよく論じるのをまぶしく眺めていた記憶がございます。

(日銀勤務)

 昭和40年、日本銀行に入りました。強いて動機といえば加藤寛先生のゼミで経済政策を勉強したことでしょうが、はじめにお会いした人事課長が「戦艦大和の最期」の著者として有名な吉田満さんという方で、その人間的な魅力にひかれ、なんとなく入ったという感じもあります。この方に限らず、日銀では多くの優れた先輩、同僚、後輩に恵まれました。

 いろいろな仕事を担当しましたが、銀行や証券会社との取引とか産業界の調査等が多かったように思います。地方勤務も関西や九州を中心に結構やりましたが、東北は秋田だけで、残念ながら福島支店の勤務はありませんでした。また、外向きの仕事が多かった関係で、金融界に限らず、一流の経済人や経営者から直接その経済哲学や人間味などを学ぶことができたのは望外の喜びでした。

(大阪銀行協会勤務)

 平成4年、福岡支店長を最後に日銀を退職し、大阪銀行協会に入りました。ここは手形交換などの現業や庶務を処理する銀行界の裏方です。8年余りおりましたが、その間大きな揺れを2回体験しました。

 まずは物理的な揺れ、平成7年1月の阪神淡路大震災です。当時私は、芦屋市の高速道路が倒れた近くに住んでおりました。その揺れたるやそれまで経験したものとはまったく違い、まさに生きた心地がしませんでした。家財道具が壊れたほか、電気や水道などが復旧するまでの2カ月半、大阪市内のホテルで仮住まいを余儀なくされました。しかし、私のマンションは何とか持ちこたえ、けがもしないで済みました。近所では結局3軒に2軒は家を立て直したことからして、自分はつくづく幸運と感じました。また、運良く助かった者としてこれからは人さまのお役に立つよう生きて行かねばという殊勝な心がけも抱くようになりました。

 二つ目は経済的な揺れです。地震から2カ月後、オウム真理教のサリン事件が発生し、景気は一段と悪化、金融システム不安の問題が出てまいりました。実際、関西ではいくつかの金融機関が破綻しました。銀行協会としては事務的な作業をするだけですが、金融システムという普段は誰も意識しないメカニズムが動揺すると、世の中いかに大きな混乱が生じるか、実感させられました。

(再び福島)

 今年の4月故郷に戻りました。私は40年ぶり、妻は30年ぶりになります。福島銀行の松本社長から銀行経営の手伝いをして欲しいと頼まれたのがきっかけです。私はいつか金融以外の仕事をしてみたいという淡い夢を抱いておりましたが、頼まれてやるのは男子の本懐ではないか、福島を営業基盤とする会社で働くのは先祖代々お世話になってきた地元への貢献にもつながるのではないかと考え、ご要請に応じた次第です。なにぶん福島銀行の知識は皆無であったうえ、長い間福島を離れていたこともあり、まだ何も分からないというのが正直なところです。しかし、ありがたいことに、そんな私を皆さまは大変温かく迎えてくださいました。日本経済なかでも地方の経済は大変厳しい状況にありますが、私も全力を尽くしてまいりたいと存じます。よろしくご指導、お力添えのほどお願い申し上げます。


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