まさにオリンピック一色の昨今です。柔道に水泳に日本選手も大活躍です。しかし少々、金だ、銀だ、メダル何個か言い過ぎてはいないでしょうか。まして国ごとのメダル数の比較はいかがかと思うのです。
オリンピックにも問題はあります。サマランチIOC会長が自ら認めたように、その肥大化、権威主義、商業主義は改革されねばなりません。また、その政治的利用も排除されねばなりません。テロ事件は言うまでもなく、これまでもソ連のアフガン侵攻への抗議の形で80年のモスクワ大会を西側諸国がボイコットし、84年のロス大会では東側諸国が不参加といった冷戦構造の暗い影が投げかけられたこともありました。
かつては、ギリシャがオリンピック開催期間中は、戦争をしないよう諸国に呼びかけたように、本来のオリンピックの精神は、五輪マークが意味するものは、国境を越えた、力と技と心の交流であろうと思うのです。
今回のシドニー五輪では、21世紀に向けてのオリンピックの新しい流れが、感じとられました。それは、裏返せばヒトラーが独演したベルリン・オリンピックをはじめ、国家対国家の色濃い20世紀のオリンピックへの反省が滲み出ていたといえるかもしれません。
あれ程の憎しみが熱い対立を見せていた韓国と北朝鮮が一本の旗を両国の旗手が握り合っての統一入場行進。199の国家と一つの地域という形で参加した東チモールの4人の選手のプラカードは「INDIVIDUAL・OLYMPIC・ATHLETES」でした。そしてあの聖火入場。最終ランナーのキャシー・フリーマン。オーストラリアの先住民、アボリジニーで、これまでの国際大会では、まずアボリジニーの旗を振り、それからオーストラリアの旗を振ったという民族の星。あの会場をゆるがせた大きな拍手は感動的でした。
オリンピックは個人の戦いだと私は思います。選手が挑戦するのは自分自身であり、自分の限界であり、記録だと思います。これに勝った時、結果として、国の名誉となる。国歌が吹奏され国旗が掲揚され、そこに涙する。これが本当の姿ではないでしょうか。今の若者にも国家意識も民族意識もあると思います。まず法律で決めるとか、憲法や教育基本法を変えるとかいった次元ではなく、もっと高い所、もっと深い所に教育の基本はあるのではないか。そして、それは「個」を育てることにある―――というのが私のオリンピックを見ての感想であり、今期のテーマ「夢」、21世紀の教育についての「夢」のスピーチであります。
もう一つ、こうした国境、国家を越えた心の交流、友愛、信頼、平和。これはロータリーの理想でもあると信じます。
ここまでは格好いいのですが、オリンピックの選手の皆さんの活躍とは裏腹に、私は最近、気がかりなことがあります。それは、わが国はこのままでいいのか。政治は経済は…ということです。まず原油価格の高騰、ついで9月8日のムーディーズの日本国債の格下げとその影響です。平成10年4月のビックバン直前のムーディーズの格下げ。トリプル安。「日本売り」。橋本内閣から小渕内閣への政権の移行。最近の自民党の求心力の欠落を見ると、あの頃のムードを何となく思い出すのですが、いかがでしょうか。
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