福島ロータリークラブ【例会】
例会日:平成12年9月21日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ 木下 隆 会長 
 まさにオリンピック一色の昨今です。柔道に水泳に日本選手も大活躍です。しかし少々、金だ、銀だ、メダル何個か言い過ぎてはいないでしょうか。まして国ごとのメダル数の比較はいかがかと思うのです。

 オリンピックにも問題はあります。サマランチIOC会長が自ら認めたように、その肥大化、権威主義、商業主義は改革されねばなりません。また、その政治的利用も排除されねばなりません。テロ事件は言うまでもなく、これまでもソ連のアフガン侵攻への抗議の形で80年のモスクワ大会を西側諸国がボイコットし、84年のロス大会では東側諸国が不参加といった冷戦構造の暗い影が投げかけられたこともありました。

 かつては、ギリシャがオリンピック開催期間中は、戦争をしないよう諸国に呼びかけたように、本来のオリンピックの精神は、五輪マークが意味するものは、国境を越えた、力と技と心の交流であろうと思うのです。

 今回のシドニー五輪では、21世紀に向けてのオリンピックの新しい流れが、感じとられました。それは、裏返せばヒトラーが独演したベルリン・オリンピックをはじめ、国家対国家の色濃い20世紀のオリンピックへの反省が滲み出ていたといえるかもしれません。

 あれ程の憎しみが熱い対立を見せていた韓国と北朝鮮が一本の旗を両国の旗手が握り合っての統一入場行進。199の国家と一つの地域という形で参加した東チモールの4人の選手のプラカードは「INDIVIDUAL・OLYMPIC・ATHLETES」でした。そしてあの聖火入場。最終ランナーのキャシー・フリーマン。オーストラリアの先住民、アボリジニーで、これまでの国際大会では、まずアボリジニーの旗を振り、それからオーストラリアの旗を振ったという民族の星。あの会場をゆるがせた大きな拍手は感動的でした。

 オリンピックは個人の戦いだと私は思います。選手が挑戦するのは自分自身であり、自分の限界であり、記録だと思います。これに勝った時、結果として、国の名誉となる。国歌が吹奏され国旗が掲揚され、そこに涙する。これが本当の姿ではないでしょうか。今の若者にも国家意識も民族意識もあると思います。まず法律で決めるとか、憲法や教育基本法を変えるとかいった次元ではなく、もっと高い所、もっと深い所に教育の基本はあるのではないか。そして、それは「個」を育てることにある―――というのが私のオリンピックを見ての感想であり、今期のテーマ「夢」、21世紀の教育についての「夢」のスピーチであります。

 もう一つ、こうした国境、国家を越えた心の交流、友愛、信頼、平和。これはロータリーの理想でもあると信じます。

 ここまでは格好いいのですが、オリンピックの選手の皆さんの活躍とは裏腹に、私は最近、気がかりなことがあります。それは、わが国はこのままでいいのか。政治は経済は…ということです。まず原油価格の高騰、ついで9月8日のムーディーズの日本国債の格下げとその影響です。平成10年4月のビックバン直前のムーディーズの格下げ。トリプル安。「日本売り」。橋本内閣から小渕内閣への政権の移行。最近の自民党の求心力の欠落を見ると、あの頃のムードを何となく思い出すのですが、いかがでしょうか。

新会員スピーチ 平井 謙二 会員 (日興證券福島支店長)
 4月に入会させていただいてから早くも半年が過ぎようとしてます。入会当初から新入会員のスピーチがあるとは伺っていましたが、まだ先の事と思っていました。それが具体的に日程が決まり日を追うごとにプレッシャーを感ずるようになりました。今朝、渡邊幹事からわざわざお電話をいただいたところで、その頂点に達したまま、ここに居るような次第です。
 とは申しましてもせっかくの機会ですし、半年間を振り返ってあまりお話しする機会がなかったこともありまして、改めて自己紹介からスピーチを始めさせていただきたいと思います。

 私は昭和29年に千葉市で生まれました。東京ディズニーランドのある浦安と海ほたるの木更津に挟まれた蘇我という所の出身です。中学、高校とそこで過ごしましたがこの間は野球ばかりしており、練習が厳しくいつ辞めようかと、それだけを考えていたような気がします。その中で自分勝手にささやかな誇りとして思っている事が2つ。阪神にいた掛布に練習試合で勝った事、中日にいた鈴木政孝投手から振り遅れのライト前ヒットを打った事です。もちろん相手は覚えていないことでしょう。

 その後、昭和53年に大学を卒業しますが当時は、昭和48年から始まったオイルショックの影響で大変な就職難の時代でした。学生時代は4年間フォークダンス部という軟弱なクラブ活動に精を出してばかりいましたので、「優」の数が極端に少なく、地元に帰ってデパートにでも入ろうかと考えて会社訪問したのが「千葉そごう」でした。幸か不幸かここも採用がなく、半ば破れかぶれで入社したのが現在の私の職業となっています。人生、なにが幸いするか本当に分らないものだとつくづく思います。

 さて先程、会長のごあいさつにありました通り、我が国を取り巻く環境は大変厳しいものがあります。格付け機関による国債の格下げなどはそれを端的に現しているように思えます。職業柄、市場、特に株式市場を観ていて最近思う事があります。株価はその国の経済、社会を映し出す鏡とよく言われます。それが正しいとすれば今後の市場動向を予測する上で過去の歴史を振り返ってみることも大切だと改めて考えています。ここで社会の大きな流れには規則的なサイクルがあるという説をご紹介したいと思います。具体的に申しますと社会事象には人知の及ばない40年の周期性があるそうです。江戸時代の3大改革を例にとりますと1722〜45年の亨保の改革から1787〜93年の寛政の改革まで42年、さらに寛政の改革から1841〜43年の天保の改革まで48年です。40数年毎に経済改革が行われているということは、ほぼ40年前後で制度疲労を起こし改革を断行しなければ経済が立ち行かなくなっていたからと考えられます。日本の株式取引は1877年にスタートしました。その後1881年に大底を見ますが、これは天保の改革から38年後のことでした。そこから株価は上昇し続け、40年目の1920年に大天井(最高値)となります。
 その後、大正恐慌、世界恐慌を経て戦後の株式取引は1950年7月の日経平均85円から再スタートしますが、40年後の1989年12月に38,915円の大天井となります。
 株価が経済・社会の鏡とするならば、その時々の経済・社会制度はほぼ40年で疲弊してしまうように見えます。

 さて現在です。1989年のピークから「失われた10年」はいつまで続くのでしょうか。新しい40年サイクルにいつ入って行けるのでしょうか。この問題に対して、やはり時間論、循環論であり数千年の歴史を持つ中国の「地理風水の玄学」が有効だそうです。

 簡単にご紹介しますと、日本においては1954〜93年は「一白カン龍」といって「隠れる」「憂い」などの意味があり、確かに1990年を転機に不況期に突入、外圧に振り回され、昭和天皇がお隠れになった国難の時期だったとも言えます。しかし2004〜23年ごろは「三ペキ震龍」といって「生気」「繁忙」「賑やか」を意味する時が動き出すそうです。この長いトンネルもあと数年で終わり、新しい活気に満ちた40年がスタートする事を信じたいと思います。

 福島に来た時には、まだ幼稚園生だった娘が小学4年生になりました。普段あまり頼みごとを言わないのですが、先日「安達太良山に登りたい」と言ってきました。思えば仕事を理由に、せっかく福島にいるのにどこにも連れて行ってないことに気付きました。
 安達太良山のてっぺんで、下界の細々とした事は忘れ、しばしこの世の人知の及ばない悠久の流れに思いをはせるのも大切かなと思っています。


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