福島ロータリークラブ【例会】
例会日:平成13年6月21日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ  木下 隆 会長 
 任期も終わりに近づきまして、何となくこの一年どんな年だったかなと思い、一献傾けながら考えてみましたら、全く大変な一年だったようです。

(1)スタートした昨年の7月、そごうが民事再生法を申請して倒産。何となく多難な一年を暗示するような出来事でした。
 8月には日銀がゼロ金利政策を解除、10年ぶりに政策金利引き上げを決定しています。しかし、これは長くは続きませんでした。10月に千代田生命、協栄生命が破綻しています。
 2001年になると1月にアメリカでFRB(米連邦準備制度理事会)が公定歩合を5.5%に追加利下げました。
 2月には日銀は公定歩合を0.5%から0.35%に引き下げ、月末にはさらに0.25%に下げています。
 3月に金融の量的緩和を決定、事実上のゼロ金利に復帰しています。株も3月末に1万300円を割りました。 少し上昇気流が感じられた日本の景気も、まだ気が抜けない厳しさを見せつけました。福島でも近くはいわきの大黒屋さんの自己破産など老舗の倒産が続きます。聖域なき構造改革が実を結び、不良債権の処理にメドがつき日本経済へ曙光がさすのはいつでしょうか。

(2)事件、事故では昨年8月、磐梯山に臨時火山情報が出され緊張させられましたし、ロシアの原潜沈没118人全員死亡も記憶に残っています。9月に入ると三宅島の全住民の避難。11月には、オーストラリアのケーブル火災事故に猪苗代中学生ら6人が巻き込まれました。日本赤軍の重信房子の逮捕もありました。2001年の1月の大雪。東京、山手線の新大久保駅で線路に落ちた男性を救おうとした二人が犠牲になるという事件もありました。2月にはハワイで愛媛県宇和島水産高校の実習船と米原潜が衝突。中国地方の地震で死者、負傷者を出しました。そして今年6月、大阪の小学校に男が乱入、児童8人を刺殺する悲惨な事件がショックを与えたばかりです。

(3)政治の世界も大きな出来事が続きました。何を先に言っていいか分かりませんが、1月には中央省庁再編で1府12省庁スタート。身近なところでは昨年9月、佐藤知事が78万票で4選、郡山市長の3選。今月の吉田市長の不出馬宣言もショックでした。

 国内政治では何と言っても小泉政権の誕生でしょう。小泉旋風の80%を超える高支持率は本当に日本の政治というか、社会全体を変えるような力となるのか。日本の政治にと生で55年体制が幕となり、細川首相は「年内の政治改革断行」を所信表明としました。支持率史上最高の72%。ところが翌1994年総辞職。1996年には自民党が復権、橋本内閣に戻りました。

 日本人はお祭りのような一過性の情熱が強い民族なんでしょうか。そして今度はどうなんでしょうか。6月の東京都議選、7月の参院選の結果も影響するでしょう。

 田中外相の言動が日本の外交というか国際社会へどんな印象を与えるか。ようやく日米外相会談に持ち込み更迭論は消えましたが、まだ定着はしていないと思います。外務官僚は全く肌が合わない人が多いので田中外相の心情も分からないではありません。

 そして国際的には12月から1月にかけてのアメリカ大統領選の混乱、ブッシュ大統領就任への道程はアメリカ社会の特徴が良くみられたと思います。

 政治といえるかどうか分かりませんが雅子さまのご懐妊は明るいニュースでした。ノーベル平和賞の白川英樹博士にもここで言及しておきましょう。

(4)スポーツではなんと言っても9月のシドニーオリンピック、高橋尚子選手など日本選手の活躍はまだ記憶にあざやかです。

10月・巨人6年ぶりの日本一。
12月・マラソンで藤田敦史が日本最高。
3月・選抜高校野球に安積高校出場。

(5)一年を振り返ってみて、たしかに今、われわれの周囲は変化しつつあると思います。今後、日本が生き残るためには、今、生まれつつある変化の本質をよく見抜き、しっかりとらえて対応していかねばならないと思います。

 ロータリーのことには触れませんでしたが、こうしてみると世界は、日本は、福島は本当に大変な一年でした。そうした中でロータリーはどんな役割を果たして来たか、また来期以降も果たして行かなければならないか。厳しい道は続きます。がんばりましょう。次期のテーマは、MANKIND IS OUR BUSINESS.なにか現在の課題を言い得ているような気がします。

新会員スピーチ “今風の司法書士は?” 幕田 昌之 会員 
 本年3月8日、当クラブに入会させていただきました司法書士の幕田昌之と申します。当クラブの記念すべき第50回目の創立記念の時に入会できましたことは大変光栄に思い、入会を誘ってくださった方、また、私のような者を仲間に加えてくださった方々に深く感謝いたします。

 少し自己紹介をさせていただきます。私は1943年、終戦の2年前に北京市郊外で生まれました。終戦と同時に父母に伴われて帰国しましたが麻疹に罹っていまして危うく、生き延びた命を落とすところでした。その後、どちらかと言うとあまり健康には恵まれず、40歳過ぎまで年に4回は風邪を引き自然に自己防衛の気持ちが強くなり、自己中心的な生き方をしてきました。幸い1970年に司法書士の認可試験に合格しましたので勤めておりました東京労働金庫を退職して、福島市御山町の父の家で間借りをして開業しました。時あたかもオイルショック直前の列島改造ブームに乗って不動産投資が盛んでしたので何とか生活ができました。現在は宮下町に事務所を建て、狭いながらも自分の城をもつことができました。御山町で90歳になる父親と専業主婦の妻と公務員の長女と郡山の専門学校に通う長男との5人暮らしです。次女がおりますが看護婦として浜松で働いております。母親は9年前に72歳で亡くなりました。大変優しい人でした。

 さて、せっかく与えていただきましたお話の時間をとりとめもないつまらない私事で皆さまの貴重なお時間を浪費するのでは申し訳ありませんので、司法書士を取り巻く最近の環境についてお話しさせていただき、司法書士とはどんな仕事をしているのか紹介させていただきたいと思います。

 司法書士は登記事務取扱者とご理解いただいている方が多いのではないかと思います。95%正しいと思います。しかし最近は単なる登記事務取扱者ではなく法律家を目指しての活動が表面化してきています。ご存知のとおり(1)簡易裁判所の民事訴訟代理権を付与されようとしています。また、(2)民事再生法が去年施行され、その改正版の個人民事再生法が本年4月に施行されました。さらに去年4月から(3)成年後見制度が改正、施行されました。これを称して司法書士会では3Kと言っており従来の登記専門の職域から時代のニーズに応えてこの分野での仕事を取り込もうとしています。そこで本日は成年後見制度についてお話をさせていただき、新しい制度のご紹介と司法書士のかかわりをお話しさせていただきたいと思います。ただ、時間の関係でさわりの部分になってしまいますが従来の無能力者制度との違い、および利用しやすくなった点をご理解いただければ幸いです。

 従来の無能力者制度(禁治産、準禁治産制度)はいろいろな問題点があり批判が多く、あまり利用されてきませんでした。
例えば、
(1) 無能力者にも個人差があり本人の残存能力を尊重して保護の内容をより個別的具体的とすべきであるのに画一的で硬直的である。
(2) 従来の制度は財産保護に偏っていて身上看護の面が軽視されている。
(3) 禁治産、準禁治産宣告は戸籍に記載されたので人々の間に強い抵抗感がある。
(4) この言葉自体が差別的である点や宣告により多くの資格制限がある。
さらに最近の人々の考え方が変化してきて、
(5) 障害者や高齢者が社会の一員として普通に生活できる社会を目指すノーマライゼーションの理念に悖る。
などです。改正法は上記の問題点の反省から、また時代の流れを取り入れて次のように変わりました。
(1) 従来の禁治産後見、準禁治産保佐の2つの制度に対して、事理弁識能力が不十分な順に後見、保佐、補助の3つの制度としました。特に補助制度を取り入れたことが最大の特徴とされています。
(2) 戸籍による公示の方法が廃止され新たに法務局に登録制度が設けられました。
(3) 法人も後見人(保佐人、補助人)になることができるようになりました。
(4) 従来は後見人(保佐人)は1人だけでしたが複数の成年後見人(保佐人、補助人)を置くことができるようになりました。
(5) 家庭裁判所の職権が拡充されました。また市町村長が申し立てできるようになりました。
(6) 新たに任意後見制度が設けられました。

■ 改正後の後見制度の図式 ■

 改正法は本人の残存能力の尊重、自己決定権の尊重、福祉の点を重視、ノーマライゼーションの尊重を旨とすることから、本人にとっても、家族にとっても利用しやすくなったと言えます。従来、本人の能力に限界があっても家族や子供たちの立ち合いのうえ無能力者制度を利用しないで無理をして契約などするケースが多かったのではないかと思われます。今後は無能力宣言が戸籍に記載されませんし、本人の自己決定権が尊重されていますので取り引きの安全からもこの制度を利用されることをお勧めします。この制度に司法書士が介護福祉制度とかかわって身上配慮にまでどのように寄与していけるか今後の課題です。

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