福島ロータリークラブ【例会】
例会日:平成13年6月14日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ  木下 隆 会長 
 本日は白岩康夫県北第一分区代理の公式訪問です。後ほどお話を頂戴しますが、分区代理という言葉もなくなるだけに、本当に最後のお話というと変ですがご苦労さまでしたと申し上げたいと思います。

 去る8日・9日、東京交歓会が行われましたのでご報告いたします。
 NTTさんのご厚意で、かの有名な麻布十番にあるクラブ「ノックス麻布」で8日午後6時から開かれました。NTTさんの施設とのことですが、大変豪華なクラブで、さすがと思いました。NTT東日本社長の井上秀一さんも参加されましたが、20年くらい前、当時はまだ電電公社といったころ福島支店長だったそうです。日銀はじめ各銀行、証券・保険会社等の当時の支店長さん方、競馬場長さん方も顔を揃えられ、大変和やかで、しかも盛り上がった会でした。

 翌9日は御台場の観光でフジTV本社、パレットタウンの買い物などでしたが、何しろ洒落た地区だけに、私の年代でしかも男性では面食らうばかりで、家内は喜んでおりました。家内といえば、皆さま方もご同伴だと思って参加させたのですが、家内1人で、紅一点というべきか、灰色一点というべきか、約束が違うと大変叱られまして、ご機嫌をとるのに苦労しました。有明のホテルで食事のあと午後2時、東京駅で流れ解散となりました。

 事故もなく、楽しい2日間を過ごさせていただきました。東京のOB会員の皆さま方のご協力に感謝申し上げると共に親睦委員会の皆さま、本当にご苦労様でした。心からお礼申し上げます。

 報告ばかりで申し訳ありませんが、昨日、福島21R.C.の認証状伝達式が開催され新クラブがスタートしました。
 南クラブの創立30周年の記念事業の一つということですがチャーターメンバー45人という快挙です。この厳しい社会情勢で会員増強、退会防止に田中PGはじめ皆が努力している中で、新クラブ設立、というのは立派なことだと思い敬意を表しました。

 21R.C.は国内で2,300番目のR.C.だそうで、福島クラブの子供クラブの福島南クラブがホストですから、福島クラブの孫クラブに当たる訳です。斎藤浩特別代表が岩崎稠、作山博之、富永健男と三代のガバナーの下で頑張られた努力の結果です。しかし、あいさつに立たれた方が皆さん、田中善六PGのロータリーにおける力というか存在の大きさを改めて認識しました。その田中PGのアドバイスを時々聞かない会長として申し訳ないと反省しました。

分区代理クラブ訪問スピーチ 県北第一分区代理 白岩 康夫 さま 
 1年間お世話になりました。
今日、新旧会長・幹事会が開催されますが、この会で次期への引き継ぎが行われます。副幹事の浦部・斎藤さまに大変お世話になりました。
 今日は、富永ガバナー年度で国際奉仕事業として取り組んだ2つのことについてお話します。

(1)ベトナムに対する医療援助

 ハノイの有効病院に医療用機器を寄贈しました。訪問団の友好病院訪問時、院長から「ベトナムの医療はまだ発展段階である。特に循環器の専門医が育っていない。友好病院の内科医1名を1年ないしは半年、福祉まで研修させてもらえないか」と懇請されました。また、ベトナム外務省の外務副大臣との会談でベトナムににロータリークラブを設立することが出来るかどうかを打診したところ「どうしたらロータリークラブができるか研究中である」との前向きの回答がかえってきました。

(2)カンボジア ロータリークリアランドプロジェクトへの協力

 RI第2580地区が推進している当クラブの創立50周年記念事業として取り上げましたカンボジアに残留している地雷を除去し、安心して居住できる環境を整えるためのプロジェクトであります。既に第1号計画は完了し経過を収めたビデオテープが送られてきて、RI第2580地区からプロジェクトへの協力を要請されました。ガバナー事務所はこれをダビングしましたので分区代理を通して各クラブに配布します。映像を見ていただき、この運動に加わっていただくことを希望します。

 地区としては各クラブに寄付を割り当てることはいたしません。幸いWCS資金に余裕がありますので、今回は地区としてその中から出します。したがって、それ以上の協力は各クラブ、各個人で対応していただくことになります。

 ロータリークリアランドプロジェクトを日本の各地区におし広め、2004年に大阪で開催されるRI世界大会で、世界中のロータリアンに「日本発信の奉仕プログラム」として提唱し、国際ロータリーのプロジェクトとするのが大きな目標です。

新会員スピーチ “イスラムとの出会い” 加藤 眞司 会員 
 私が体験した昭和52年から昭和58年くらいの間、中近東でのモスレム(イスラム教徒)との出会いをお話しします。昭和40年代後半のオイルショックで当時、日本政府は上昇した建設物価を抑えるために公共事業抑制策を打ち出す反面、産油国へのプラント建設や石油製品の備蓄策を推進しました。

 世界中の人々がオイルダラーを求めて産油国へ押し寄せたのもこの時代です。イスラエルがアラブ侵略を続け、中東の国々では戦争が勃発しておりました。私と同世代の若者たちが連合赤軍とか世界赤軍などと称して、パレスチナ、レバノン、クアラルンプール等でハイジャックやテロ事件を繰り返しておりました。当時、私はリヤドに赴任し、製油所の建築のエンジニアとして、工事現場の管理とコーディネートを行ってきました。気候、風土の違い、昼と夜との温度差が30度cもあり、日中の気温は60度cにも昇る地域での建設工事の進め方には当初非常に戸惑いました。建設工事では現場で働く人々のチームワークが大切なことは言うまでもありません。ソマリア、エチオピア戦争の途中でしたがクレーンオペレーターがエチオピア人で、鳶工がソマリア人であったこともありましたが、彼等はそのまま工事を続け立派に建物を完成させました。

 アラブの人たち(イスラム)の考え方には国境はなく、神は「アラー」のみであり規律はすべて「コーラン」に定めてあります。だからアラブの国々にはいろんな言葉がありますが、コーランさえ知っていれば何処へ行っても生活できます。コーランは単に神の事についてだけ書いてあるのではない。コーランはイスラムの人間が生きていくのに必要とすること、それを具体的に述べた一種のマニュアルであると教えています。イスラムの1日はサラ−と言われる礼拝から始まります。礼拝をコーランでは1日5回から3回は必ずやりなさい、と教えています。

 当初、私は意味がわからず大変苦労をしました。コンクリートの打設中に祈り出す作業員が出てきたためです。イスラムはすべて自分の都合の良いほうにとってしまうのです。何かが起こればインシアーラ−(神のおつげだ)で済ませてしまいます。以後、私はエジプト人のエンジニアとサウジアラビア人のフォアマンを付けてもらうことにしました。それ以後、彼等とはスムーズに事が運びトラブルも無く工事が完成できました。

 イスラム暦でラマダンと呼ばれる月があります。1ヵ月間は太陽が出て沈むまでの日中は「飲まない、食べない、吸わない」という断食を実行します。労働時間もラマダンタイムをとり入れて、早朝から午前中くらいで仕事をきりあげるのが普通です。それでも建設現場は条件がきついため、休憩時には売店で水を飲んでいました。その時、いきなり宗教警察が踏み込んできて、店主が逮捕され労働者も連行されました。私もあやうく連行されるところでした。銃を付きつけられ「何でラマダンに水を飲む」「私はモスレムではない」「パスポートを見せろ」「仏教は常に仏の教えを守れと言われており、仏教徒にラマダンはない」店主と作業員は連行され、それ以後は顔を見ることはありませんでした。

 コーランには、一生の間に余裕がある限り、一度はメッカに巡礼に行くように勧めています。「ハッジ」と言われています。金曜日のモスクに集まってするお祈りが、共同体を単体とするコミュニケーションの場だとすると、ハッジはそれを地球的なスケールに拡大したものです。ラマダンの2ヵ月後にハッジを行う月が来る。その月は全世界のイスラムの人々の中で、体が健康で経済的余裕のある人々がメッカへ向かいます。

 メッカにはイスラム以外はいかなる人であっても入れないのです。私も一度は見てみたいと思い、メッカロードを車で走りメッカへの入場を試しましたが、検問でUターンさせられました。イスラム社会では聖地とは、他人が足を踏み入れる場所ではなく、紛争が起こればジハード(聖戦)となり、イスラム社会全体を巻き込むことになります。東エルサレムの問題が20年来未だ解決を見ないのは、エルサレムがメッカ、メジナに並ぶイスラムの三大聖地の一つであり、パレスチナがアラブ全体、またイスラム社会の支援を受け続けていることを考えれば、一日でも早い解決を願ってお話をさせていただきました。


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