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私が体験した昭和52年から昭和58年くらいの間、中近東でのモスレム(イスラム教徒)との出会いをお話しします。昭和40年代後半のオイルショックで当時、日本政府は上昇した建設物価を抑えるために公共事業抑制策を打ち出す反面、産油国へのプラント建設や石油製品の備蓄策を推進しました。
世界中の人々がオイルダラーを求めて産油国へ押し寄せたのもこの時代です。イスラエルがアラブ侵略を続け、中東の国々では戦争が勃発しておりました。私と同世代の若者たちが連合赤軍とか世界赤軍などと称して、パレスチナ、レバノン、クアラルンプール等でハイジャックやテロ事件を繰り返しておりました。当時、私はリヤドに赴任し、製油所の建築のエンジニアとして、工事現場の管理とコーディネートを行ってきました。気候、風土の違い、昼と夜との温度差が30度cもあり、日中の気温は60度cにも昇る地域での建設工事の進め方には当初非常に戸惑いました。建設工事では現場で働く人々のチームワークが大切なことは言うまでもありません。ソマリア、エチオピア戦争の途中でしたがクレーンオペレーターがエチオピア人で、鳶工がソマリア人であったこともありましたが、彼等はそのまま工事を続け立派に建物を完成させました。
アラブの人たち(イスラム)の考え方には国境はなく、神は「アラー」のみであり規律はすべて「コーラン」に定めてあります。だからアラブの国々にはいろんな言葉がありますが、コーランさえ知っていれば何処へ行っても生活できます。コーランは単に神の事についてだけ書いてあるのではない。コーランはイスラムの人間が生きていくのに必要とすること、それを具体的に述べた一種のマニュアルであると教えています。イスラムの1日はサラ−と言われる礼拝から始まります。礼拝をコーランでは1日5回から3回は必ずやりなさい、と教えています。
当初、私は意味がわからず大変苦労をしました。コンクリートの打設中に祈り出す作業員が出てきたためです。イスラムはすべて自分の都合の良いほうにとってしまうのです。何かが起こればインシアーラ−(神のおつげだ)で済ませてしまいます。以後、私はエジプト人のエンジニアとサウジアラビア人のフォアマンを付けてもらうことにしました。それ以後、彼等とはスムーズに事が運びトラブルも無く工事が完成できました。
イスラム暦でラマダンと呼ばれる月があります。1ヵ月間は太陽が出て沈むまでの日中は「飲まない、食べない、吸わない」という断食を実行します。労働時間もラマダンタイムをとり入れて、早朝から午前中くらいで仕事をきりあげるのが普通です。それでも建設現場は条件がきついため、休憩時には売店で水を飲んでいました。その時、いきなり宗教警察が踏み込んできて、店主が逮捕され労働者も連行されました。私もあやうく連行されるところでした。銃を付きつけられ「何でラマダンに水を飲む」「私はモスレムではない」「パスポートを見せろ」「仏教は常に仏の教えを守れと言われており、仏教徒にラマダンはない」店主と作業員は連行され、それ以後は顔を見ることはありませんでした。
コーランには、一生の間に余裕がある限り、一度はメッカに巡礼に行くように勧めています。「ハッジ」と言われています。金曜日のモスクに集まってするお祈りが、共同体を単体とするコミュニケーションの場だとすると、ハッジはそれを地球的なスケールに拡大したものです。ラマダンの2ヵ月後にハッジを行う月が来る。その月は全世界のイスラムの人々の中で、体が健康で経済的余裕のある人々がメッカへ向かいます。
メッカにはイスラム以外はいかなる人であっても入れないのです。私も一度は見てみたいと思い、メッカロードを車で走りメッカへの入場を試しましたが、検問でUターンさせられました。イスラム社会では聖地とは、他人が足を踏み入れる場所ではなく、紛争が起こればジハード(聖戦)となり、イスラム社会全体を巻き込むことになります。東エルサレムの問題が20年来未だ解決を見ないのは、エルサレムがメッカ、メジナに並ぶイスラムの三大聖地の一つであり、パレスチナがアラブ全体、またイスラム社会の支援を受け続けていることを考えれば、一日でも早い解決を願ってお話をさせていただきました。
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