福島ロータリークラブ【例会】
例会日:平成13年2月8日(木) 12:30〜 
例会場:ホテル辰巳屋8F 
会長あいさつ  木下 隆 会長 
 今日のゲストスピーカー二宮チエさんは大変面白いお話をなさるそうで、皆さんの期待は大きいものがあります。会長つまらないあいさつはやめて二宮さんに十分時間をとっておかないと、1時30分に閉会点鐘はうてませんよ−といったご注意をいただいております。
 今日は人事消息だけにして早々に引き下がります。

 第1は、渡辺正之会員はすっかり回復されまして本日ご退院ということです。心よりお祝い申し上げます。どうかご退院祝いにお酒だけは持って行かないでください。

 第2は、東篠潔会員の心臓の調子が良くなくて1月31日医大に入院されました。昨日渡邊幹事さんとお見舞いに行って参りました。ベットの上に起き上がってお話ししておられました。

 第3は、福島競馬場長の石井秀司会員がJRA本部にご栄転されることになりました。2月15日赴任という慌ただしさで、皆さんにお別れ申し上げることができず申し訳ないとの意向が伝えられました。お別れのあいさつがファクスでとどいておりますのでお読みします。

 この度、2月16日付人事異動により、東京にあります本部(人事部長)に転勤することにまりました。
 福島ロータリークラブに入会いたしまして、2年間ではございましたが、皆さま方に出会い、楽しく過ごさせていただきました。仕事がら、土日が競馬開催、月火が休日ということで、平常業務を水木金の3日間で行うという特殊な業務体制のため、例会のある木曜日は思うように時間がとれなく、出席率が悪かったことは残念に思っております。
 本来であれば、皆さま方に直接お会いしてお別れの言葉を申し上げるところですが、書面でのお別れの言葉を申し上げるところですが、事務引き継ぎ等で時間がとれませんので誠に恐縮ですが、書面でのお別れとお礼のあいさつとさせていただきます。
 この2年間本当にありがとうございました。また皆さまにお会いできる日を楽しみにしております。

 会員数が一時的ですが99人と二桁になりましたが、後任の馬長さんも間もなくお見えになるとのことなので、落ち着いております。

シリーズ「夢」第4回ゲストスピーチ 二宮 チエ さま(ラジオ福島パーソナリティー)
 初めまして、私は「ハッピーチエ」です。
 最初このスピーチのお話をいただいた時は、喜んでいたのですが、後になって考えてみますと私のような無学の人間が、ロータリーの皆さまに何をお話しできるかと思いました。が、年のせいで恥ずかしさは全部忘れましたので、30分間お話しさせていただきます。

 私は福島で生まれましたが、小さい頃は大変貧しかった思い出があります。当時、小学校の入学式はリンスの袴でしたが私だけは木綿だったとか、皆のクレヨンが12色であったのに私のは6色で、運動会の駆けっこの賞品に12色のクレヨンを頂き嬉しかったことなどが思い出されます。おじいさんが大変な大酒飲みで、毎日徳利を持たされて1合の酒を買いに行かされ、お酒のお金は惜しみませんが、学校の費用となるとこれはなかなか出してはくれません。帳面代4銭を貰うにも、「朝言うんでない」「夜言うんでない」と渋るような状況で、「鬼の手から豆を貰う」ようなものでした。

 夏休みの宿題は先生が謄写版で掘って出されており、小学校5年生の時、その紙代として15銭が集められたのですが、4銭の帳面代ですら渋る状況でしたので、「15銭を払んねば、払んねば」とは思いながら言い出せませんでした。とうとう、女1人、男が4人ほどでしたか教室に残され、明日15銭を持ってくるように言われました。今は笹谷小学校の体育館が建っていますが、当時は、その場所に大きな樫の木があり、そこにボンヤリと立ち、同級生が遊ぶのを眺めていました。あの時の困った事はこの年になってもいまだに忘れることができません。誠に情けなかったです。樫の木には秋になると「じんだ」(どんぐり)がなるように、私もいずれ実がつく人間になろうと誓いました。

 笹谷小学校の樫の木を見るたびに、あの時の悔しさが思い出され、いつかは返したいと思って、とうちゃんと結婚する時も「私には借金がある。この借金を返す時に文句を言われるのなら結婚しない」とも言いました。その後、働いて働いて貯金しましたが、3人の子供に恵まれ、この子たちの学費に備えてと貯金は使わずにきました。子供も大きくなり、「かあちゃんが死んだら、この10万円を笹谷小学校に持っていくんだぞ」と常々言っていましたが、娘に「あんたなんで自分が働いて貯めた金を自分で持って行かず、子供に持っていかせるのか」と言われ、遂に昭和61年2月25日に返しました。48年もかかった借金の返済でした。その時の笹谷小学校の校長先生が、「あなただけではない。この時代はこのような子供が何人も泣いたに違いない、よく返してきました」と賞状を頂戴しました。苦労、苦労の連続でしたが、返すことができ、今は笹谷を大手を振って歩くことができます。

 何か役に立ちたいという思いから、ちんどん屋を始めたんですが、こんな格好ですので太鼓を思いっきりはたいてしまいます。とうちゃんが「なんだ!おっかぁ、おめぇの太鼓はそりゃぁ、だめだぞ」と言われ、笹谷の町内会に声をかけ同じ年代の人を集め「ボランティアちんどんハッピー会」の旗揚げとなりました。衣装は布団屋さんから布団皮を安くわけてもらい、毎日縫って、縫って、縫って作り上げました。

 ラジオ福島にでた時にプロデューサーの小峰さんから「チエちゃんまた来てみないか」と誘われ、毎週お喋りすることとなりました。神さまと出会ったみたいでした。よく「年をとったら、何が幸せか」と聞かれますが、年をとると体の節々も痛くなり、何も良いことはありません。スタジオで鏡田さんと話すのが何より楽しみで、絶対にやめないでおこうと思ってます。ラジオのおかげでちんどん屋の依頼も数多くなり、お話があったところへは必ず行っております。

 チエちゃんのラジオを聞いて運転したら、対向車の運転手も笑っている、きっとチエちゃんのラジオを聞いてると言われ、皆さんに楽しんでもらっているかと思うとこんな嬉しいことはありません。

 21世紀はこれまでよりも楽しく「あのばっぱまだ死なないで、派手な着物を着て出てきている」と言われるようなちんどん屋をやりたいと思っております。私の幸せでもあり喜びでもあります。

長い夢 今度あゆむは 大手ふる

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